本研究は、明治期の地域社会において天皇の権威が受容されていく過程を、公教育制度の展開に留意して検討した。その結果、①山形県東置賜郡で、県令三島通庸と同郷の郡長柴山景綱が近代学校の設立と地域社会の近代化を進めた過程と、②南置賜郡とは対照的に県令三島との政治的距離を接近させた東置賜郡の近代化は進み、三島自身も、その実現に期待を寄せた事実、さらには、③東置賜郡の川樋学校、屋代学校は、天皇の訪問に際しては、立礼の実践などを通じて人々が天皇の権威を受容する素地を形成し、さらに天皇の訪問を「名誉」「誇り」と受け止め、地域社会に近代的な天皇像を醸成させる役割を担った、という3点が明らかになった。
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