研究課題/領域番号 |
19K02479
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
野々村 淑子 九州大学, 人間環境学研究院, 教授 (70301330)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 出産 / 医療救貧 / 貧困児 / 生命 / 健康 / 性差 / 身体 / 18世紀イギリス |
研究実績の概要 |
本年度は、18世紀イギリスにおける救貧事業としての産院(lying-in hospital)の系譜と、産婆(midwife)から男産婆(men-midwife)を経て、産科医(man practitioner)への移行の系譜を整理することに注力した。そのため、本研究の中軸である貧困層の出産、乳幼児の世話に関して家庭的空間が重視されていくプロセスにはいまだ至っていない。産婆(女性)から産科医(男性)へ、という変化についての社会史研究は、主として、彼/彼女たちの産婆術の方法や、道具、場面等に触れながらも、主として、その役割や、仕事の領分、性差に関わる権限、さらに男性に関して言えば、政治的立場、支持政党による流派の違い等が注目されてきた。医学史、医療史のなかでもそうした領域に重点が置かれてきたからである。 出産という女性の領域であった場に、男性が参入した経緯とそこで起きたことは、ジェンダー権力関係のなかだけのことではない。人々が、その技術と知識によって、出産という営為に参入し、そこで実践し、あるいはそのためのセオリーを記述し、またケースの記録を残し、後進の育成に尽力していた文脈を理解すべく、残された史料を読み進めた。 男産婆、男性産科医の参入については、産婆の知識や技能を批判し、それに成り代わっていくという、しばしば言及される文脈だけではなく、男性のなかでも、女性の産婆の出産観と言われる自然に近い分娩をよしとするに近い産婆もいた。反対に、女性のなかでも男産婆の道具とされる鉗子を容認する者もおり、ジェンダー関係のみで語ることはできない。また、産婆と産科医の棲み分け、分担や、共同等も一律ではなく、さらに精査が必要である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
【研究実績の概要】で記載したように、18世紀は、産婆(女性)から産科医へ(男性)という動きだけではなく、この出産に関わる主体や、知識の体系、道具や場所が、大きく転換していく転換期である。現在は、イギリスにおけるその見取り図を整理しつつ、そこに子どもの命とどう向き合うのか、ということが争点になっていたということに辿りつき、現在は、それを中心に調査中である。 男性が出産に関与し始めた初期においては、男産婆は、通常分娩ではなく、緊急時、多くは死産の処理に関わった。女性たちは、あえて難しい出産のときのみ男性を頼ったのであり、鉗子等の道具も、そのような場面で使用されていた。しかし、その後、鉗子使用も含めて、生きている子どもの出産に、さらに通常分娩においても男性がかかわるようになっていった。そこで、男性たちが出産に関わる理由として言及されたのが、子どもの命を守るということである。様々な出産観、使用道具についての考え方、師弟関係や流派などの関係性のなかで、子どもの命への配慮を第一義とするようになったといえる。 今年度は、個別の文脈、詳細を調査することまでが限界であり、研究成果へとつなげることができなかった。
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今後の研究の推進方策 |
出産の場で、子どもの命への配慮が主たる目的として機能しはじめた経緯と、男性医師が通常分娩にも参入するようになった文脈の関係性について、特に、貧民救済事業の一環である無料産院(lying-in hospital)の存在が大きく関わったということまではわかっている。 出産時において、子どもの命への配慮がクローズアップされたことは、それまでの出産に子どもの誕生が望まれていなかったということではないとされる。ひとつの文脈は、出産という生の世界と死の世界の境界にある領域は、人間の力では及ばないとされていた。人間の力、道具、さらに産婆術、さらに産科学の知識体系と技能が子どもの命を助けることを可能とするという地平が誕生したわけである。それが、貧困女性の出産をめぐって登場するプロセスを追うことによって、子どもという存在、特に貧困児という存在、その命や健康への社会的な意味付けや対し方の変容を解明しうる。 いまひとつの文脈は、母親の命と胎児の命が二つながら救うことのできない難産に対する関係性、社会性の変容プロセスである。男産婆、男性医師、産科医は、この時期において、死産、難産だけではなく、また、難産であっても子どもが生きて生まれることを目的とした関与を始めたのである。それまでは、難産だった場合は、死産を覚悟で、母親を助けることを一義としたという。この変化は、子どもの命、健康への配慮というだけではなく、母親の命と子どもの命が対峙してしまうような難産の場合の、生命への対し方と医療、産婆術、産科学の社会的機能についてどのようなことを意味しているのか。 18世紀は、救貧政策においては、貧民の効用という言葉で表されるように、社会的、政治的に貧民の命へのまなざしが強められ、子どもやその健康が着目された。出産を通して、その過程を解明することに努めたい。 これらの作業を通し成果を公表する。
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次年度使用額が生じた理由 |
イギリスでの調査を予定していたが、夏は業務の関係上難しく、冬から春は、コロナウィルスなどの影響で海外調査が困難であった。 来年度は、もし海外渡航が可能であれば、ロンドンでの調査に利用する計画である。それが困難だった場合は、可能な限り史料の取り寄せ等、代替策を考える。
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