研究課題/領域番号 |
19K02558
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研究機関 | 信州大学 |
研究代表者 |
加藤 善子 信州大学, 学術研究院総合人間科学系, 教授 (90434969)
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研究分担者 |
冨岡 勝 近畿大学, 教職教育部, 教授 (50303798)
下 絵津子 近畿大学, 総合社会学部, 教授 (90364190)
堤 ひろゆき 上武大学, ビジネス情報学部, 講師 (80769183)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 近代日本 / 中等教育利用 / 阪神間 / 私立中学校 / 校友会誌 |
研究実績の概要 |
23年度は、3名の共同研究者を迎え、資料の多角的分析に取り組んだ。第一は灘中学校設立前後の中学校をめぐる進学状況に関する文献調査と社会的文脈の分析、第二に、旧制灘中学校の校友会誌の分析による校長眞田範衞と設立関係者の教育観、第三に灘中学校顧問・嘉納治五郎が持っていた灘中学校での教育思想である。 教育史の先行研究から、旧制灘中学校の設立構想が生まれた大正中後期は、神戸において中学校の受験が過熱した時期であり、過度の受験競争の緩和や知識偏重教育の改善を目的として、甲南中学校・甲陽中学校が阪神間に設立された時期であった。しかし、公立中学校においても収容力が高まり、灘中学校が創立された昭和3年頃からは、選びさえしなければどこかに入れる中学全入時代が到来していたことが明らかになった。 これら3校の設立関係者は、御影師範学校を起点としてネットワークを結んでおり、校友会誌の分析から推察すると、阪神間の3つの私立中学校が大正新自由主義教育の流れを汲んだ教育をめざしていたことがわかる。灘中学校はそれに加えて、嘉納治五郎の柔道と攻防式体操などが積極的に紹介されており、眞田校長や設立発起人の一人である曽我豊吉など師範学校関係者に加え、嘉納治五郎の教育思想が色濃く見られることを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナによる中断で遅れていた部分に取り組むと同時に、資料の制約による研究計画の変更を余儀なくされたため、新たな問題を設定して再出発した。あと1年間で、予定した研究を終え、成果の発表を行う予定である。
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今後の研究の推進方策 |
1.神戸一中と灘中学校との比較。神戸と阪神間の中学校進学行動と地域の近代化との関連を考察する。 2.それに付随する各テーマ(校友会誌にみる灘校の教育思想・嘉納治五郎の語学教育観と灘校の教育方針・実業教育と中学校教育の社会的機能・実業層の中学校利用)について、それぞれ研究成果をまとめる。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナと病気により、2年の中断があり、そのため、前年度だけではその遅れを取り戻すことができなかった。来年度も引き続き研究を行い、次年度使用額はその調査や学会発表のための旅費にあてる。
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備考 |
『月刊ニューズレター 現代の大学問題を視野に入れた 教育史研究を求めて』 第104号~第111号
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