本年度は大正期の中学校における学校紛擾の事例研究を実施した。具体的には佐賀中学校の同盟休校事件(大正5年)を主に取りあげ、生徒文化と学校文化に着目しつつ、紛擾の背景と要因について検証・考察を行った。その際、明治期との比較から当時期における紛擾の特徴を探ろうと試みた。また、これまで実施してきた事例研究と同様、紛擾当事者である生徒・教師の主観的な意味世界に注目するため、日記や自伝といった生活史的資料を積極的に参照した。 検証の結果、本事例は素行不良の生徒の一部が処分を恐れて他の生徒らを扇動し、同盟休校に突入したものであった。もともと明治以降の佐賀中学校では、強い軍人志向もあって、生徒間に厳格な上下関係が形づくられていた。そして「ストライキ学校」として紛擾の絶えない学校でもあった。この明治期に紛擾が多発した理由として、上級生にきわめて強い権威が認められており、それが既存の学校秩序に対する反抗として表面化しやすかったと考えられた。しかし、大正期に入ると主に校長の改革によって、運動や学業を奨励する学校へと学校文化が大きく変容していった。一方、同盟休校を惹起した不良生徒らは、「豪傑組」と称された旧来の生徒の文化を引き継ぐ者たちであり、大正5年の紛擾はそうした生徒文化と新たな学校文化との軋轢が発現したものではないかと考察した。 これまでの研究では、明治期に比べて大正期前半になると中学校の紛擾報道件数は減少したことが分かっている。本事例からはその理由として、大正期には部活動の隆盛や進学指導の高まりなどで新たな学校文化が形成され、紛擾の基盤となるような旧来の生徒文化が消失していた点が示唆された。 以上については『滋賀大学教育学部紀要』第71号にて論文を公表した。現在、昭和初期の事例について資料収集を終えて分析を進めており、2022年度に学会発表と論文執筆を行う予定である。
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