本研究は、「日本ならではの文字学習環境で身に付けられた運筆の順序が、楷書中心の書字環境に急速に変化した明治期以降の楷書筆順に影響を与え、行書系筆順として定着した」という仮説のもと、日本の楷書筆順を特徴づける行書系筆順が定着した過程について、江戸期の寺子屋で広く使用された往来物における運筆順序の分析を通して明らかにするとともに、通史的に解釈して筆順史に位置付けることを目的とする。 2023年度(再延長年度)は、2022年度(延長年度)において、石川松太郎監修『往来物大系』全十巻(1992-1994)所収の往来物資料757点から当初計画の「2」で選定した全40字種「飛 必 馬 長 門 無 右 左 有 書 臣 非 羽 兆 老 及 司 風 川 州 寒 隹 止 上 出 火 用 田 王 生 耳 取 坐 女 方 土 母 興 重 癶」を抜き出す作業を終えたことを受けて、該当字種から運筆順序を抽出する作業(当初計画の「3」)を完了させ、楷書筆順との相関関係の分析、行書系筆順関連記述の精査、筆順史解釈の文脈への位置づけ(当初計画「4」「5」「6」)を行った。 結果、江戸期における行書系筆順(行書系筆順優位の字種の筆順)は、明治初期において複数存在した楷書筆順規範の一つとして位置づけられ、その後の筆順根拠淘汰の過程を経て、最終的に『筆順指導の手びき』(文部省 1958)にまで多く残存したことが確認された。そして、中国の筆順規範(「現代漢語通用字筆順規範」1997)との比較によって、「書きやすさ」の原理に支えられる行書系筆順が、日本の筆順規範として公的に示された『筆順指導の手びき』(文部省 1958)所収筆順群、すなわち日本の筆順規範の特徴の一つとして挙げられること及びそこに至る経緯が明らかとなった。
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