この研究では、「在日コリアンの「民族教育」における排他的構造の変化」がどのように行われてきたのか、在日コリアンの民族教育が本格的になってくる終戦前後の動きからその教育の変化について追究してきた。また、「在日コリアンの‘共生に生きる’という主体的選択」に関する継続研究で,(1)在日コリアンの「民族教育」の変遷過程を辿り、(2)在日コリアンのアイデンティティの発達と排他的属性の変化、(3)在日コリアンの共生を求める「相近」努力の研究と連携しつつ,多文化共生の視点から在日コリアンの日本社会における地域住民・社会の構成員としてのアイデンティティをより確実にする「法的地位」についてまで探ってきた。その結果、日本国における在日コリアンの排他的「民族教育」から地域の構成員としての共生を考える変化の確認、即ち、植民地期の日本国籍からの「国籍離脱」→「協定永住権」→「特別永住権」と変わるが,その変化が次第に在日6世まで出ることにより、日本社会の住民として生きることの模索に繋がっているのが確認できた。日本で生まれ育った在日コリアンが韓国や世界を跨り、国際関係を繋ぐ架け橋的役割を行うことは確認できるものの、未だに居住する地域への主権を有する住民としての参画が容易ではないことが確認できた。外国人労働力や移民・難民の動きによって国際社会は人権意識を高めながら共生社会を目指す傾向である。かつての帝国主義国民国家を中心に多文化共生の考え方や多文化政策が広がり,マイノリティの法的地位・権利の向上が認められるようになってきたが、日本は,他の国より多文化共生の流れに沿った政策の開発に積極的ではなく、排他的「民族教育」から地域に根差した住民として共生社会を模索する在日コリアンの法的地位などの課題があることが確認できた。なお、相対的に在日論を否定してきた総連系コリアンは、排他的属性を保っているのが確認できた。
|