2022年度はフィールドワークの成果をまとめ、「ふるさとの喪失」に関する理論的・実践的な示唆を得た。故郷喪失の経験が従来の心理学的研究において指摘されてきた「地域愛着」等の概念を超えた、「構造的」な喪失としての性質を帯びていることを中間貯蔵施設立地自治体(福島県大熊町)の住民への縦断的インタビューデータより示唆した。特に、「納得しないが了解する」、「当事者性の揺らぎ」といった心の動揺を背景としながらも(時間的・政治的な事情から)復興に向けた活動へと歩みを進めていく(いかざるをえない)という状況を描き出すことができた。 住民が最も懸念することは、「中間」処理施設であるはずの大熊町の施設が「最終」処分場へと変貌することであった。その回避のため、住民の願いは、除染の結果として産出された放射性廃棄物とその保管・処理が福島だけの問題にとどまらず、広く日本全体で議論の対象となることにあった。言い換えれば、同問題が福島に限局化されるという「構造」の存在を示唆するものでもあった。この事態は、社会学者/平和学者であるヨハン・ガルトゥングによる「構造的暴力」(社会の仕組みや構造がもたらす間接的な暴力を指す)の概念をもとに、「故郷の構造的喪失」として整理された。 インタビュー対象者となった住民らは、人生の展望を再構成し、困惑と迷いの中にありながらも生活を立て直すための活動に移行しつつある。しかしながら、このような事態の進展は、支援策が不要であるということを決して意味しない。また、放射性廃棄物とその保管・処理を福島だけの問題にしないために、仮に国内他地域への廃棄物の移動を行うのであれば、汚染の拡大や、受け入れ地における大きな健康不安・健康リスクを招きかねないものでもある。前述の「構造」の歴史を踏まえた、復興のための文化心理学的な「記号」の配置に関するより踏み込んだ考察が今後要請される。
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