研究課題/領域番号 |
19K03614
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
稲葉 寿 東京大学, 大学院数理科学研究科, 教授 (80282531)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 年齢構造 / 感染症数理モデル / 免疫ブースト / 後退分岐 / 免疫時計 |
研究実績の概要 |
免疫状態の強化と減衰を考慮した年齢構造化感染症モデルの研究をおこなった.ホスト個体群における免疫状態のダイナミクスは感染症の流行に重要な役割を演じている。感染から回復した個体は何らかの免疫性をも有しているが,その有効性のレベルは時間的に不変ではなく,変化する。個体の免疫性は時間とともに減衰するであろうが,一方感染因子との接触によって,強化される(boosting)こともありうる。1980年代に現れたアロンのマラリアモデルにおいては,ホスト個体群は3つの状態(感受性,症候性感染,無症候性感染)にわけられ,症候性感染から回復した個体は,部分的に感受性,感染性を維持すると仮定され,その免疫状態は再感染により強化される。アロンモデルにおける免疫ブースト効果は,再感染によって免疫時計(回復からの経過時間)が零にリセットされるという境界条件によって表現されている。 免疫時計のリセットは症候再感染からの回復によって得られる免疫水準への免疫ブーストを意味する。アロンモデルにおける基本的仮定は,ブーストされた個体は,症候性感染から回復したばかりの個体と同じ水準の免疫性を得ると言うことである。大桑,國谷両氏との共同研究においては,この仮定を緩め,免疫ブーストによって免疫時計は再感染発生時点におけるよりも前の任意の時間にリセットされるとした。免疫レベルが回復齢とともに単調減少しているのであれば,再感染によって,症候再感染からの回復から得られる最大の免疫レヴェルから再感染時点のレヴェルまでの任意のレベルの免疫性が,ある確率で得られることをこの仮定は意味している。 我々は,このモデルの数学的適切性を示し,初期侵入条件,エンデミック定常解の存在条件を示した。リアプノフーシュミットの議論によって,基本再生産数が1を超えるときのエンデミック定常解の分岐の方向を考察して,後退分岐が出る必要十分条件を与えた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本課題においては,生物個体群ダイナミクスを微分方程式あるいは積分方程式,関数方程式によりモデル化したうえで,関数解析的,力学系的手法を用いてその性質を調べる構造化個体群ダイナミクスの数学的理論の開発,とくに個体レベルの異質性,履歴および環境変動を反映できるように理論を発展させることを長期的目標として,とくに時間変動環境における力学系的理論に焦点をあてて,時間変動環境における個体群に対する基本再生産数の理論を発展させて,非自律的非線形系で表現される集団の絶滅と存続の条件を明らかにすることを主要な目標として目指したが,それはInaba (JMB 79(4), 2019)において達成された. また感染症ダイナミクスにおいては,ホスト個体群における免疫状態のダイナミクスを考慮することは,感染症の長期的流行を理解するためのキーである.本年度の研究では,古典的なアロンのマラリアモデルを力学系モデルとして厳密に定式化するとともに,免疫ブーストによって任意レベルの免疫状態に再帰可能なようにモデルを拡張して,その定常解分岐を検討することで,劣臨界流行の可能性を示唆する結果を得ている. また新型コロナ感染症のパンデミックがおきたために,それへの緊急対応として,流行抑制方法に関する共同研究をおこなった.その研究において,我々は大量テストと隔離の効果を検討するためのモデルを構成した。大量テストと隔離政策は,社会経済システムへの影響が少なく,その有効性はすでに韓国,台湾,ベトナム,香港などにおいて証明されている。数値計算によって検査率が小さい段階では,検査率上昇が実効再生産数の低下に対して非常に効果的であることを示した.さらに,もしも大量テストと検査隔離がなければ,緊急事態宣言の解除とともに,再流行が起きるであろうことを示した。以上のように,本研究課題はおおむね順調に進展しているといえる.
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今後の研究の推進方策 |
感染症数理モデルをふくむ一般的な個体群動態モデルの理解に関しては,基本再生産数の概念が決定的なキー概念である.基本モデルが非線形力学系として定式化される場合,基本再生産数が非線形系において果たす役割は,非線形力学系の定常解に対する線形化安定性の原理に依拠して理解される.しかしながら,個体群ダイナミクスのなかでも有力なモデルである一次同次非線形系に対しては,定常解に対応するのは指数関数型の持続解であって,その軌道安定性は議論できるが,零解近傍ではそもそも微分可能ではなく,線形化による基本再生産数の定義は不可能である.それに対して,Horst R. Thiemeは,一次同次システムを一次近似としてもつような非線形離散力学系に対して,成長と減衰の閾値としての基本再生産数が定義できることを示した.今後の研究としては,このThiemeの議論を連続時間システムに拡張して,両性人口モデルや性的感染症モデルへの適用していくことを検討している.
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナ流行のため,海外を含む出張旅費がすべて執行できなくなったため,それらの経費の多くの部分はリモート環境において研究を実施するための環境設定に使用された.しかしながらそれでもなお未執行部分が残ることになったが,22年度においては研究出張が漸次可能となりつつあるため,延長された執行期間において,これまでの研究成果の報告・討論および研究機材補充によって使用される予定である.
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