研究課題/領域番号 |
19K04805
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研究機関 | 奈良女子大学 |
研究代表者 |
藤田 盟児 奈良女子大学, 生活環境科学系, 教授 (20249973)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 室町殿 / 北山殿 / 東山殿 / 烏丸殿 / 会所 / 座敷 / 御成 / 行幸 |
研究実績の概要 |
突然のコロナ禍により、外部調査が不十分であったが、昨年度調査の住宅史料を元に、室町時代の上層部家住宅の復原平面図を作成した。足利義満の室町邸、北山山荘の遺構復原と、史料内容との照合により、会所が使用されるようになる契機を把握し、天鏡閣の復原図も作成した。これによって、会所座敷の発展について、その性質や機能などを再考できた。また、通称金閣についても、その接客空間における役割や庭園における建設意図などを推理し、北山殿の接客空間の全体的構成が把握できるようになってきた。つづく足利義尚、義教の室町殿との比較から、会所の発展経過を考察した。それぞれの宴遊ルートを配置図に落とすことにより、各建物と部屋の意義と建設意図について考察した。その後を継いだ足利義政の烏丸殿が、会所座敷の発展の画期であることと、それを基に出来た東山山荘が、近世武家住宅の原型であることを、御成の次第から考察した。烏丸殿に居住していた康正元年(1455)に会所を南東に移して常御所を建てているので、北西に常御所、南東に会所という東山殿の施設構成は、実質的にはこのときに誕生していたことが判明し、会所を表座敷とする変化は、室町将軍邸で15世紀中期に発生したことが確認できた。また、応仁の乱前後には、庭園部分にある会所や泉殿が亭主よりも身分が高い人の一時的な住まいにされるという現象が起こっており、近世の二条城や大名屋敷における行幸御殿や御成御殿の始まりも確認できた。以上の成果をもとに、最終年度は近世大名屋敷の殿舎構成が、いかに生まれたかを考察する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
外部調査は遅れているが、その分、資料作成と史料解釈が進んだので、研究の進展はおおむね予定通りと考える。
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今後の研究の推進方策 |
中世の武家住宅の殿舎配置の復原と史料解釈は進んだので、近世大名屋敷の殿舎配置と史料解釈を進めたいが、近世大名屋敷の史料は、静嘉堂文庫や徳川美術館、宮内庁などの東京に在住する施設が所蔵しているものが多く、緊急事態宣言下では公的に調査に行けない。今年度の後半に事態が沈静化する時期に集中して史料調査に行く時間を確保して、遅れを挽回する方針である。
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