研究課題/領域番号 |
19K04816
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研究機関 | 長崎総合科学大学 |
研究代表者 |
山田 由香里 長崎総合科学大学, 工学部, 教授 (60454948)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 仁川・長崎居留地研究 / 文化財修理設計技術者・井上梅三 / 忠清北道・清州神社 / 貿易都市長崎 / 熊本利平 / 壱岐の古墳 / 対馬の石屋根倉庫 |
研究実績の概要 |
2020年度の研究成果は以下の3点からなる。 第一に、1941年に清州神社(忠清北道)を手掛けた文化財修理設計技術者・井上梅三(1864-1963)の資料調査と現地跡地調査を、2019年度に続いて行った。梅三が手掛けた代表的な建築は、祐徳稲荷神社(1933、佐賀県鹿島市古枝、権現造)、広島招魂神社(1934、広島市中区基町、流造)、清州神社(1941、忠清北道清州郡清州邑栄町、神明造)の3カ所で、図面一式が残る。いずれも、戦災や火災で失われて現存しない。そこで、3次元復原によって往時の景観を復原した。その結果、梅三の仕事を一般の人にも視覚的に伝えられ、原爆投下などで失われた景観も示すことができた。 第二に、長崎市鍛冶屋町の明治8年(1875)の町家(旧朝鮮貿易綿商)の調査を、2019年度に続いて行った。御当家が保管する大正4年(1915)の「人名簿、富山商店」には、綿商貿易相手の住所と氏名がある。取引相手は、153地域の914人で、北はハルピン、南は台南、西は打狗、東はシアトルである。当時長崎市は、東京、大阪、神戸、京都、名古屋、横浜に次ぐ全国7番目の都市(人口規模17万人)だった。取引名簿から、江戸時代からの貿易都市長崎の活況を明らかにすることができた。 第三に、長崎―仁川研究の下地となる韓国と長崎の歴史的交流を、近世の交流拠点地であった壱岐・対馬において現地調査した。壱岐では、明治から大正にかけて朝鮮半島での大規模牧場経営で財をなした熊本利平(1879-1968)の邸宅跡と茶室を確認した。玄関脇の石碑によると、昭和14年3月1日起工、設計森山松之助(1906-1921台湾総督府営繕課技師)、監督中間新造、棟梁藤田宇一である。壱岐に約300基ある古墳から、仁川江華島のコインドル(支石墓)に関連する文化圏であることを確認した。対馬では、椎根の石屋根倉庫の実測調査を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2020年度は、前年度に続き、長崎及び日本国内の仁川の建築と都市に関する史資料調査を行い、成果をもとに、仁川で官庁舎・商店・工場・病院・学校の現地調査を行う研究計画であった。しかし、新型コロナウィルス感染拡大によって仁川への渡航が叶わず、日本国内の移動や資料調査も制限を受けた。 よって今年度は、2019年度の成果を拡充させることにし、文化財修理設計技術者・井上梅三の建築資料の分析や3次元復原や、長崎市内に残る旧朝鮮貿易綿商の貿易台帳の分析などを進めた。 その結果、計画していた現地調査は進まなかったものの、仁川・長崎居留地研究の周辺部を充実させられる成果は得られた。
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今後の研究の推進方策 |
今後も、新型コロナウィルス感染拡大による移動の制限は続く。 一方で、旧朝鮮貿易綿商の町家を調べるにあたり、長崎の航空写真や古写真などにあたったところ、モダン長崎に関する資料調査は継続できそうである。 モダン長崎の建築と都市の検討を先に進め、渡航ができる時期を待ちたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィルス感染拡大により、韓国・仁川に渡航できず、現地調査が実施できなかったためである。今後、渡航が可能になったら、旅費として使用する計画である。
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