研究課題/領域番号 |
19K05377
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
長澤 裕 立命館大学, 生命科学部, 教授 (50294161)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 互変異性体 / 過渡吸収スペクトル / 時間分解分光 / 励起状態ダイナミクス / 光異性化反応 / ソルバトクロミズム / フォトクロミズム / 超高速分光 |
研究実績の概要 |
超短パルスレーザーを用いたフェムト秒の時間分解能を有する非線形分光法を応用すると、定常状態における通常の分光法では観測不可能なコヒーレントな分子運動や不安定短寿命過渡種が観測可能となる。ここではとくに化学反応の過渡種となる互変異性体(tautomer)の分子ダイナミクスについて、白色supercontinuumを用いた時間分解過渡吸収(TRTA)スペクトル分光を用いて研究を行った。従来、化学反応の研究は、反応条件を最適化し、目的の生成物収量を高めることを主な目的とするため、その途中段階で起こることについては、あまり注目されていなかった。化学反応の研究に時間の概念を導入し、反応が実際にどのように起こるか解明しようというのが本研究の概要である。近年のフェムト秒パルスレーザー開発の進展により時間分解能が飛躍的に向上し、分子運動と化学反応ダイナミクスの関係が直接観測できるようになった。とくに、30フェムト秒以下の超短パルスを使用すると、コヒーレントな核波束運動を誘起することができるため、化学反応と関連した分子運動を検出することが可能である。今回我々はおもに、ソルバトクロミズムを示す無蛍光色素のphenol blue (PB)について、フェムト秒TRTAスペクトル分光を応用し、その超高速無輻射失活過程と互変異性化反応のダイナミクスについて、詳細を明らかにした。この研究成果の概要は以下の通りである。PBの励起状態寿命は80 fs程度と非常に短寿命であり、超高速の無輻射失活を示す。その結果、局所的に高温な基底状態が生じ、数ピコ秒程度で熱拡散によりcoolingが起こる。TRTAスペクトルの励起波長依存性の実験より、ethanol溶液では短寿命(~30 ps)のtautomerの存在を確認した(NMRでは検出不可能)が、非プロトン供与性溶媒では存在しないことが示唆された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
互変異性体(tautomer)のなかには、定常状態の分光法では観測困難な超短寿命のものが多々存在する。そこで、白色supercontinuumを用いた時間分解過渡吸収(TRTA)スペクトル分光により、化学反応の過渡種となるtautomerの分子ダイナミクスについて研究を行った。Phenol blue (PB)は無蛍光性の色素であり、光励起により電気双極子モーメントが増大し、吸収極大が溶媒極性に依存するソルバトクロミズムを示す。そのため、PBは溶媒和のプローブとして使用されてきたが、NMR測定によりmethanol溶液中ではtautomerが存在することが報告されている。この互変異性化には、キノイド部位のねじれ運動が関与していると考えられているが、その詳細はまだ明らかではない。興味深いことに、その他の溶媒ではtautomerは報告されていない。つまり、PBのソルバトクロミズムは、溶媒による吸収帯のシフトだけではなく、tautomer間の熱平衡の溶媒依存性も寄与している可能性がある。そこで、中心波長が550 nmと650 nmの2つの励起パルスを使用し、PBのethanol溶液についてフェムト秒TRTAスペクトル測定を行った。その結果、PBの励起状態寿命は80 fs程度と超短寿命であることが判明した。PBは、超高速の無輻射失活により基底状態に内部転換し、局所的な高温状態が生じる。その後、溶媒への熱拡散により、数ピコ秒程度で冷却される。さらに、30 psほど経たないと、励起波長550 nmと650 nmのTRTAスペクトルが完全に一致しないことから、短寿命のtautomerの存在を確認した。このような実験は、NMRの時間分解能では不可能である。また、非プロトン供与性溶媒でも測定を行ったところ、tautomerは存在しないか、寿命がさらに短いことが示唆された。
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今後の研究の推進方策 |
超短寿命のtautomerが中間体として存在すると考えられる光化学反応には様々なものがあり、これらのダイナミクスを時間分解分光により解明していくことを計画している。ソルバトクロミズムを示す分子には、tautomerの存在を示すものが多々あり、そのうちのひとつがbetaine色素である。Betaine色素の互変異性化については、まだ時間分解分光実験は行われておらず、どのような構造変化によって互変異性化が起こるのかも定かではない。betaine色素は基底状態で対イオン構造をしているため、励起状態よりも電気双極子モーメントが大きく、励起状態からの無輻射失活過程が電荷分離過程となる。betaine色素には分子構造が複雑なものから単純なものまで多種存在するので、どのレベルで互変異性化が起こるか検証することも可能である。プロトン移動や水素結合が関与する互変異性化としては、天然色素indigoやtriphenylmethane (TPM)色素の例がある。Indigo自体はtrans-cis光異性化反応を示さないが、その誘導体であるthioindigo等は異性化を示す。Indigoが光異性化反応を示さない理由としては、分子内水素結合により分子構造がtrans-体に固定されていることが挙げられる。これを光励起すると、分子内プロトン移動を介してtrans-体への無輻射失活が高速で起こるため、cis-体が生じないと理論計算から予想されている。TPM色素の場合は、中心の正に帯電した炭素原子が溶媒分子と水素結合することによって、平面型と三角錐型の分子構造の間で、互変異性化が起こるとされている。しかし、これらの反応について、tautomerの生成・消滅過程の詳細が直接観測されたことはなく、今後TRTAスペクトル測定等で解明していく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
一部の消耗品を再利用して新品を購入しなかったことと、新型コロナ禍の影響で3月中の学会等が中止になったため、次年度使用額が生じた。翌年度分と合わせて、消耗品と旅費として使用する計画である。
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