14世紀中葉の室町初期は、公家(天皇家を含む)・武家(主に足利将軍家)・禅僧(主に臨済宗)の3者らによる庭園を舞台とした文化交流(サロン化)が展開されていった歴史上初めての時代であった。本研究は、1)鎌倉末期(14世紀中葉)から室町初期(15世紀中葉)における庭園の文化利用の再考と、2)室町時代前期の庭園史と他の芸術文化史との総合的見解の深化についての解明を目的とした。
最終年度の研究実績は、足利将軍家2代義詮、3代義満に注目し、公家、禅僧らとの庭園利用の史実について、さらに先行研究を深堀りすべく古文献を調査した。本調査は、玄徳3(1331)年から応永元(1394)年までの約60年間におよび、特に上山荘、花の御所、北山第の各庭園における3者によるの庭園利用や訪問について実施した。詳細な調査の結果、時代毎による3者の関係性から庭園利用の変遷の一端が解明できると考えられた。
これまで実施した研究期間全体の成果として、特に以下のことが解明できた。それは、足利将軍家の初代尊氏とその弟直義の自邸庭園の利用では当初、公家や禅僧らと共に、偈頌や詩歌会などによる交流はあったが、まだ彼らとの活発な庭園利用は発展途上であった。しかし、尊氏と直義が、同時期に他の天龍寺・西芳寺・醍醐寺や常在光院等の庭園に赴き、そこでの公家や禅僧らとのサロン的交流を通じて、庭園を舞台とする王朝や禅宗の文化を受容していたことを解明した。その後、徐々に尊氏と直義が、自邸や他邸の庭園で少しずつ連歌や和歌の歌会や庭園観賞や花見等を通じて、彼らとのサロン的交流を深めたことが、後の足利将軍家3代義満へと繋がって、花の御所や北山山荘の運営に継承されて行った流れが判明して来た。本研究によって、京における足利将軍家が、公家や禅僧らに影響されて発展させた庭園利用に関する解明は、室町期の日本庭園史及び文化史を一歩進めたと考えられる。
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