研究課題/領域番号 |
19K06952
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
國友 博文 東京大学, 大学院理学系研究科(理学部), 准教授 (20302812)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 記憶と学習 / 線虫 / 化学感覚 / 塩走性 / 味覚 |
研究実績の概要 |
環境中の化学物質に起因する感覚を化学感覚と呼ぶ。ヒトではおもに嗅覚と味覚がこれに該当し、私たちはそのはたらきによって香りを楽しんだり食物を味わったりすることができる。我々は、化学感覚とその記憶に基づく学習の仕組みを遺伝子レベルで明らかにすることを目指している。化学感覚に関わる受容体やシグナル伝達経路は、生物種が異なっても比較的良く保存されている。また学習の仕組みを調べるには、行動を定量的に評価でき、遺伝学的研究手法が整備され、個々のニューロンや神経回路の活動を容易にモニターできるモデル生物の利用が適している。そこで本研究では、おもに線虫C. エレガンスの味覚学習(塩濃度走性)の実験系を用い、学習変異体の原因遺伝子の解析を通じて、経験に依存して行動が調節される仕組みを分子・細胞レベルで解明する。この目的のため、おもに以下の課題に取り組んだ。(1)シナプス伝達極性が反転する機構の解明、(2)塩濃度走性に関わる新規遺伝子の機能解明。 本年度は、味覚神経(ASER)から一次介在神経(AIB)へのシナプス伝達の符号が飼育塩濃度に依存して反転する機構を調べ、その成果を論文として発表した。ASER神経からAIB神経へのシナプス伝達は、飼育されていた塩濃度が高いと興奮性、低い場合には抑制性を示すことがわかっていた。いずれの伝達にもASER神経からのグルタミン酸の放出と、AIB神経で発現するAMPA型グルタミン酸受容体が関与する。これに加えて、抑制性の伝達にはAIB神経で機能するグルタミン酸依存性塩化物イオンチャネルが機能することが明らかになった。また、塩濃度勾配上における個体の移動方向制御に関わる神経ペプチドの機能を明らかにするため、遺伝学的アプローチで関連遺伝子を探索した。また、飢餓条件の行動に関与する神経ペプチドを同定した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
一般に、ニューロン間のシナプス伝達はその強度が調節されても符号が逆転(興奮性と抑制性が転換)することは珍しい。ASER神経からAIB神経へのシナプス伝達は個体が経験した塩濃度の履歴に依存して符号が変わり、これが塩濃度勾配上における移動方向の決定に寄与することが示唆されていた。その機構が明らかになれば、記憶と学習を司るシナプス可塑性の新しい仕組みとして興味深い。グルタミン酸依存性塩化物イオンチャネル遺伝子の変異体を用いた解析を行い、AVR-14遺伝子の関与を明らかにした。これまでの結果と併せて、Cell Reports誌に研究成果を公表することができた。 神経ペプチドは神経伝達物質として機能するほか、シナプス外でも作用して神経活動を調節する修飾因子としてはたらく。神経ペプチドのプロセシングに必要なegl-3やegl-21の変異体は塩走性に欠損を示すことから、神経ペプチドも塩走性に関与することが示唆されていた(Nagashima et al., 2019)。これを受けて神経ペプチド遺伝子の変異体を用いて塩走性の表現型を観察し、ASER神経で発現するNLP-3が高塩濃度への走性に寄与することを見出していた。NLP-3の受容体やシグナル経路の遺伝子を同定するため、遺伝学的スクリーニングを行ってNLP-3過剰発現株の抑圧変異体を得た。表現型の確認や遺伝子決定のための同胞系統を作製するのにやや時間がかかったものの、1株についてゲノム塩基配列を決定して原因変異の候補を得た。 当初計画していた味覚神経の軸索におけるDAGレベルの制御機構の解明は、研究室内で進行中の別の研究課題と重複する内容を含むため引き続き休止した。幸いにも、2021年度はCOVID19の影響により研究活動が制約されることはほとんど無かった。
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今後の研究の推進方策 |
塩走性の調節に関与する神経ペプチドの機能を明らかにする。まず、NLP-3過剰発現株の塩走性異常を抑圧する遺伝子を同定する。具体的には、約10個の候補遺伝子について、既存の変異体を用いた表現型の解析、ゲノム編集による候補遺伝子への変異導入、クローニングした候補遺伝子断片による機能相補実験等を行って、原因遺伝子を特定する。候補遺伝子にはegl-3が含まれていた。egl-3は神経ペプチドのプロセシングに必要である。従って、この抑圧変異体ではegl-3の変異によってNLP-3の生合成が抑制され過剰発現の表現型が抑圧された、というシナリオが考えられる。egl-3が原因遺伝子だった場合、細胞特異的発現によってegl-3の作用細胞を決定する。その細胞におけるNLP-3の発現が塩走性を調節することが示唆される。NLP-3過剰発現株の抑圧変異体のスクリーニングは、当初、受容体を探索する目的で開始した。今回解析した株以外の抑圧変異体の解析を進める。 次に、飢餓条件下で塩走性の調節に関与するペプチドの機能を明らかにする。線虫は餌を経験した塩濃度に誘引され、飢餓を経験した塩濃度を避ける。FLP-2またはPDF-1を過剰発現した線虫株は、飢餓条件においてのみ塩走性に欠損を示す。これらのペプチドは、個体の活動レベル(静止と覚醒)の調節に関わることが既に知られている(Chen et al., 2016)。またつい最近、介在神経から分泌されるFLP-2が飢餓やストレスによる耐性幼虫形成の制御に関わることが報告された(Chai et al., 2022)。これはFLP-2が飢餓のシグナルに関与することを示唆している。塩走性における両者のはたらきを明らかにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
投稿論文のリバイズ実験を既設の設備と消耗品で賄うことができたため、予想外に支出が少なかった。スクリーニングによって得られた変異体のゲノム塩基配列解析の支出が予想外に少なかった。また消耗品をまとめて購入することにより、おもにプラスチック器具の購入費用を抑制できた。COVID19の活動制限により学会が中止またはオンライン開催となり、研究成果発表のための費用がほとんど支出されなかった。これらの理由により次年度使用額が生じた。老朽化した設備の更新を前倒しするなど支出計画を再考し、計画に沿って支出する予定である。
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