研究課題
近年、臨床検査学領域におけるバイオマーカー測定の有用性が注目され、高感度質量分析法を用いた定量法の開発が進んでいる。定量法を確立するためには、まず分析化学的な定量範囲や定量下限の確認が、次に臨床化学的な病態生理学的および正常時のバイオマーカーの濃度範囲の把握が、それぞれ重要である。本研究は分析化学の観点から、対象とするバイオマーカーの分析バリデーションを実施するとともに、バイオマーカーの生合成経路の解明を目指している。グロボトリアオシルスフィンゴシン(LysoGb3)はファブリー病のバイオマーカーとして知られる。本疾患には小児型と遅発型3病型(腎型、心筋型、神経型)の3つの病型亜型が知られている。臨床的な点からはこれらの病型亜型を区別するバイオマーカーが希求されており、本研究を含めて同様の試みが全世界でなされている。スフィンゴシルホスホリルコリンはリゾスフィンゴミエリンとも呼ばれ、ニーマンピック病C型のバイオマーカーである。2016年に質量分析法でこの類縁化合物と考えられるバイオマーカー(LysoSM-509)が検出され、その化学構造の決定が待たれている。本研究では、LysoGb3の定量系の確立と、その類縁化合物の網羅的解析系への応用および検出されるバイオマーカーの病型亜型依存性の検討を1つの目的としている。もう1つの目的はLysoSM-509の構造の解明である。令和元年度はLysoSM-509の化学構造の解明に大きな進展があった。
2: おおむね順調に進展している
LysoSM-509は、高速液体クロマトグラフ-タンデム質量分析計(LC-MS/MS)を用いた定量分析系において分子イオンの水素付加体がm/z 509、断片化イオンがm/z 184で検出されるバイオマーカーとして2016年に初めて論文報告された。その後、我々を含め、複数の研究グループが臨床検体を使用してこれを確認した。さらにその後、このバイオマーカーの化学構造解明が世界的な競争となった。我々の研究グループでは結果的に臨床検体に検出されるバイオマーカーの精密質量を測定し、これとフラグメントイオンから当該バイオマーカーの化学構造を推定した。これに引き続き重水素標識体を含めた化学合成を行ない、LC-MSによる保持時間の一致などの物理化学的な性質などから当該化合物をN-パルミトイルホスホリルコリンセリン(PPCS)と決定した。構造決定に際しては国際的な競争となり、米国のグループが我々より若干早く論文報告した。ファブリー病のバイオマーカーであるLysoGb3はスフィンゴ脂質であり、セリン:パルミトイルトランスフェラーゼ(EC 2.3.1.50)が初発酵素である。これまでの知見から、健常人血漿中の濃度は約0.7 nMと極めて低いことが知られている。またファブリー病の小児型ではその病態生理学的濃度が数100nMであること、遅発型では数10 nMであることも知られている。現時点においては、血漿LysoGb3濃度測定は保険収載されておらず、したがって濃度既知の標準品も市販されていない。そこで我々は分析バリデーションを実施し、健常人におけるLysoGb3濃度の平均値が既報の値と同様であることを確認した。令和元年度は、さらに網羅的な解析系の構築に着手した。
まず、ニーマンピック病C型のバイオマーカーとして提唱されたLysoSM-509はPPCSであることが確認されたので、今後はその臨床検査学的な有用性の検討が引き続き進むことと思われる。特に、現在のところホスホコリンセリンの生合成機構は全く知られていないため、その解明が待たれる。LysoGb3の長鎖塩基の類縁化合物の網羅的解析系は現在構築している最中である。現在の課題として、各成分に対する標準品が全く存在しないことが挙げられる。本研究で使用している LC-MS/MSは非常に感度が高く、健常人のLysoGb3の血漿濃度は既報の値と同様であるため、分析バリデーションが所定の精度で実施されていることが分かる。今後は標準品の存在しない長鎖塩基について、その構造を先行研究を紐解きながら解析してゆく。LC-MS/MSによる解析においてひとつ重要なことは、得られるフラグメントイオンが詳細な化学構造を与えるものではないということである。言い換えるとMS/MSで得られるフラグメントイオンの情報からでは、二重結合や水酸基の位置、シス/トランスの異性体に関する情報に関して他の生化学データを組み合わせて推定する必要がある。長鎖塩基の場合、C4-C5の二重結合はトランス異性体であることが分かっている。しかし化合物内に2個以上の二重結合が存在する場合にはその幾何異性体の区別ができない。今後はこのような詳細な化学構造についても、他の方法を併用しながら解析を進めてゆく。
令和元年度は、研究自体は概ね順調に進み、予定していた学会発表や論文投稿等もほぼ終了した。一方、研究が比較的効率的に進んだ結果、いわゆるトライアンドエラーに必要な研究費の抑制がみられた。本研究で使用するLC-MS/MSにおいては複数のシグナルを同時に検出する多重反応モニタリング(MRM)の機能が充実していること、また近年この性能が飛躍的に向上し、従来の装置であれば同じ量のデータを得るために複数回のインジェクションが必要であったものが1回のインジェクションのみで結果が得られるようになったことも消耗品の支出の抑制に作用している。また、前処理に利用する96ウェル形式の固層抽出プレートの利用は分析カラムの寿命の向上のみならず、質量分析系の生体試料由来の塩やタンパク質の除去に効果があり、装置の性能維持のための経費削減に貢献した。次年度使用分の予算に関しては、引き続き無駄のない効率的な利用に努め、研究成果の費用対効果の向上に寄与するよう予算管理する予定である。主な使用目的として定量分析に使用する安定同位体標識化合物などを予定している。
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