術後せん妄は患者の予後に重大な影響を与える合併症であり、その治療には、脳内ドパミン拮抗薬や脳内アセチルコリン代謝阻害薬がある程度の効果を有する。これは、術後せん妄に、脳内で相互作用を持つドパミン作動性ニューロンとコリン作動性ニューロンのバランス崩壊が関与している可能性を示すものである。また、研究代表者らは、全身麻酔薬がアセチルコリン放出を抑制することを報告してきたが、減少したアセチルコリン放出は麻酔終了後速やかに回復する。これは、神経伝達物質放出の変化、すなわち、シナプス前の変化が麻酔や鎮静後速やかに回復してもせん妄が起こることを示している。したがって、せん妄の原因となるような麻酔・鎮静の影響が残るとすれば、受容体発現などのシナプス後の変化が考えられる。そこで、手術時の麻酔や術後集中治療に用いられる麻酔薬や鎮静薬がこれらの神経伝達物質受容体の発現に影響を及ぼすかを検討することが本研究の目的である。 本年度は、昨年度に引き続き、麻酔薬、亜酸化窒素を4時間投与したラットの脳組織を摘出し、大脳皮質、海馬、線条体、中脳、小脳の5部位に分割し、それぞれの部位ごとのアセチルコリン受容体(M1、遺伝子名Chrm1)とドパミン受容体(D2、遺伝子名Drd2)のmRNA転写物の発現量を1ステップのRT-PCR法で、Gapdhをリファレンス遺伝子として、比較 Ct 法で解析した。その結果、Chrm1とDrd2のmRNA転写物発現量は、亜酸化窒素投与後では、脳内の5部位において対照群と比べて有意の変化を示さなかった。昨年度までの結果と合わせ、現在汎用される麻酔・鎮静薬、プロポフォール、ミダゾラム、デクスメデトミジン、セボフルラン、亜酸化窒素は、脳内のドパミン、アセチルコリン受容体の発現に影響を及ぼさないと考えられた。
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