レヴィナスの哲学的議論を現象学的伝統および同時代の文脈の中で正確に理解し直し、従来は切り離して論じられがちだった性差論と家族論の結びつきを詳らかにすることを試みた。 性差については、レヴィナスと同時代の現象学者、サルトル、メルロ=ポンティ、ボーヴォワールにおける身体や性をめぐる現象学的分析との関連について考察し、とりわけレヴィナスの性差の現象学との相互的な関連を有するボーヴォワール『第二の性』(1949年)については、より詳細な検討を試みた。生物学的性別(セックス)と社会的・文化的性差(ジェンダー)の区別を『第二の性』に読みこむ従来の解釈の問題性を指摘し、『第二の性』を現象学的見地からより革新的なものとして読んでいく作業を行った。これによってレヴィナスの性差の現象学のさらなる解明につなげることができた。 また性差の現象学と家族の現象学を結ぶ役割を果たす「人種」概念についても現象学的観点から検討を進め、現代の人種の現象学を代表するヘレン・ンゴ『人種差別の習慣』を翻訳・出版すると共に、メルボルンで開催された国際メルロ=ポンティサークルでメルロ=ポンティの習慣概念から人種差別について考察する発表を行った。 家族については、レヴィナスの講義録や1950年~60年代のテキスト・草稿資料などをさらに読み込み、『全体性と無限』などで展開される親子関係の現象学の生成過程やその哲学的意義について検討した。さらにこうした検討をへたうえで、レヴィナスによる親子関係の分析が現代の倫理学の文脈のなかで、いかなる倫理学的意義をもちうるのかについて、家族倫理学や生殖倫理との比較のもとで考察し、甲南大学人間科学研究所公開講座にて発表した。 以上の検討を経たうえで、レヴィナスにおける性差の現象学と家族の現象学の内的な結びつきを解明するとともに、両者の現代的な意義を示すという当初の目的はおおよそ達成された。
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