(1)表現的応報理論の立場からどのような種類の刑罰が望ましいのかを考察し、特に身体刑が道徳的に正当化可能か否かについて検討し研究発表を行った。従来の懲罰的な自由刑は、人道上の問題と再犯率の高さという問題を抱えており、この問題を解決するために北欧では人道的な刑務所が導入されているが、受刑者を甘やかしすぎだという批判もなされている。このような現状を踏まえたうえで、本研究は、これまでその非人道性ゆえに道徳的に不適切だと評価されがちだった身体刑に注目し、身体刑が本当に道徳的に不適切なものなのかを考察した。身体刑を擁護する研究者はしばしば、従来の懲罰的な自由刑に対して身体刑がもつ長所を挙げることで、自由刑が許容されるのであれば身体刑も許容されると論じるが、しかしこれでは身体刑そのものを正当化したことにはならない。身体刑は、その非人道性ゆえに批判されるのであるから、そもそも身体刑が非人道的なものではないということを示さなければ、身体刑を正当化することにはならない。そこで本研究は、身体刑を残虐性や受刑者の尊厳を貶める性質という非人道性ゆえに批判するPatrick Lentaの議論を批判的に検討し、身体刑は必ずしも非人道的なものとはならないことを、残虐性や尊厳の概念の分析を通して明らかにした。 (2)表現的応報理論の立場から死刑が道徳的に正当化可能かを冤罪可能性の観点から研究した。冤罪で罰することは冤罪被害者の尊厳を侵害する重大な不正であるが、加害者を罰さないことは、表現的応報理論の立場から言えば、もともとの被害者の尊厳を侵害することにつながる。このように尊厳のバランスをどうとるべきかという問題を、冤罪の可能性をもつ不完全な刑事システムに事前に同意していたかどうかという観点から考察した。
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