2022年度は、デンマーク黄金時代研究の一環としてキルケゴールとマーテンセンの思想的影響関係を焦点に研究を進めた。マーテンセンをヘーゲルの単なるエピゴーネンと見做していたとする従来の研究史を見直し彼の自伝に書かれたキルケゴールに関する記述を頼りに青年時代の両者の影響関係に注目した。キルケゴールがマーテンセンからシュライアーマハーの神学について学び、留学後に発表されたヘーゲルに関する諸論文を注意深く読むなど、初期の思想形成には肯定的な側面が見られる。遺稿『ヨハネス・クリマクス』から浮かび上がるのは、青年時代のマーテンセンの著作からデカルトの方法的懐疑を学び、ヘーゲルに至る近代哲学の発展を、自律の体系として理解した点である。このようなヘーゲル理解はマーテンセンを介さなければ到達することのできない独自な線である。キルケゴールはヘーゲルの著作を直接研究する前に、マーテンセンのヘーゲル理解に影響を受けたのであり、神律神学の立場からヘーゲルを批判する点も視野に入れていた。ヘーゲル哲学の理解が深まると、キルケゴールは次第にマーテンセン神学を批判するようになり、批判の標的はヘーゲルではなくマーテンセンに絞られていく。 以上の観点から、キルケゴールにとってマーテンセンの思想及び彼のヘーゲル理解は、ヘーゲルからの直接的な影響に先行している。神律神学によるヘーゲル批判をフランツ・バーダーの思弁神学に由来すると見ていることからも、マーテンセンを単なるヘーゲルのエピゴーネンとは見ていないことは明らかである。両者の影響関係を正しく評価するためには、マーテンセンのヘーゲル理解とヘーゲル批判が初期のキルケゴールに与えた影響を同時に見定めなければならない。以上の考察を刊行予定である『キルケゴールとヘーゲル』に加えたところで、最終年度の研究は終了した。
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