本研究の目的は、ハイデッガーの遺稿「黒ノート」のユダヤ批判を、形而上学批判の観点から読み解くことで、そこにユダヤ教を擁護する思索の積極的な可能性をさぐることである。令和2年度はまず、令和元年度の研究を踏まえ、1930年代半ばに生じた「形而上学」概念の変容過程の解明に取り組む予定であった。だが、コロナ禍に関連した諸事情により、9月初旬に予定していた学会での当該テーマの研究発表を断念した。 他方、ユダヤ教に対するハイデッガーの思索の積極的なかかわり方をさぐるため、イエスとフィロンの存在史的な位置づけを念頭に置きつつ、ユダヤ批判の内実の精査に取り組んだ。そしてこの作業を進めるなかで、現在の「黒ノート」研究を主導するトラヴニーの主張には、テキスト読解上看過しえない問題が含まれていることに気づいた。研究代表者はすでに、そうした問題の一端を、総長期(1933~34年)の「人種論」に即して指摘していたが、問題となる箇所は想定していたよりも広範囲におよび、1930年代後半以降のユダヤ批判をめぐる、いわゆる「存在史的反ユダヤ主義」の議論そのものに見出すことができる。だとすれば、本研究の試みを十分に説得力をもったものとするためには、世界的な影響力をもつこの主張の問題点をテクストに即して明らかにし、本研究の正当性をあらかじめ確保しておく必要があろう。そのため、令和2年度は研究計画を変更し、「存在史的反ユダヤ主義」に関する検証作業を行うことにした。 検証の結果、1930年代末の「黒ノート」に記されたフッサール批判を、「反ユダヤ主義的」な文言とみなすトラヴニーの見解は、妥当性を欠くものであり、少なくとも適切な解釈とは言い難いことが明らかになった。
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