本研究は、近世日本において初期には「文芸」と捉えられていた儒学が、いかに武家社会において「学問」化していったか、①藩主として身に付けるべき教養のうちの儒学の位置付けの変遷、②近世初期の大名の文芸ネットワークと儒学の諸藩への伝播、③藩に仕えた特殊技能者の登用に占める儒者の社会(階層)的な位置付けの変遷の3つの側面から、その過程の社会的実態と歴史的意義の解明を行うという計画に基づいて行ってきた。 最終年度は、過年度において分析が不十分となっていた鳥取藩の事例のうち、①の研究について、藩主・世子の学問の実態を守役となった人々の日記『御用人日記写』(1~11)117冊(1661~1787)、『御用人日記』(1~9)306冊(1670~1757)(共に鳥取県立博物館蔵)により明らかにし、その中での儒学受容を明らかにしてきた。また、③の研究についても、鳥取藩の事例を『藩士家譜』全1606冊、『侍帳』全37冊ほか(すべて鳥取県立博物館蔵)を基に分析したものの、予想以上に量が膨大であり、いまだ体系的に分析できていない。 とはいえ、全体としては武家社会における儒学受容の過程を儒者だけでなく、藩主の面からも跡付けることができた。また、そこには儒者だけでなく藩主のネットワークも関わっていることが明らかにできた。これらの研究を含めて2024年3月に著書として刊行すべく入稿したので、本研究の成果として一定の成果は上げることができたと考えている。
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