研究課題/領域番号 |
19K12969
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研究機関 | 藤女子大学 |
研究代表者 |
松村 良祐 藤女子大学, 文学部, 准教授 (80612415)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 情念論 / 愛 / トマス・アクィナス / ボナヴェントゥラ / サン・ヴィクトルのフーゴ― |
研究実績の概要 |
今年度は昨年度以来の課題であった、トマス・アクィナスとボナヴェントゥラの情念論の源泉に注目し、その考察を試みた。 (1)トマスとボナヴェントゥラの情念論の源泉の一つとして、サン・ヴィクトルのフーゴーを研究対象に定め、『愛の実体について』の翻訳を試みた。欲望と愛徳を対比する『愛の実体について』は、アウグスティヌス的な枠組みを脱していないものの、そこには諸情念の関係を捉える上で新たな説明の試みを見ることができた。愛、欲求、喜びの3つの情念を始点から終極に至る運動として位置付けるフーゴーの説明は、13世紀に広く流布した偽アウグスティヌスの『霊と魂について』にも見られ、そこにサン・ヴィクトル学派からトマス、ボナヴェントゥラへと至る情念論の一つの系譜を確認することができた。上記『愛の実体について』の翻訳は、近く学術雑誌に投稿予定である。なお、この研究を遂行するにあたって、補助金を用いてサン・ヴィクトルのフーゴーの当該著作とその周辺に関する文献を多数購入した。 (2)情念論を主題とする前期著作から後期著作へと至るトマスのテキストを検討し、諸情念の関係について自然学的な運動をモデルとして理解するトマスの立場がいつどのような仕方で成立したのか、その過程を検討した。諸情念の関係について自然学的な運動をモデルとして理解するトマスの立場は、情念そのものを魂のうちに生じた運動として理解することに基礎付けられるものであるが、13世紀において情念は質の一種として説明されることが多い。トマスにおいても情念が質の一種であることは疑い得ないが、それを運動という仕方で捉えることに個々の情念を関連付けて捉える端緒があるとともに、個々の情念の位置付けを巡る問題を引き受けることになったことを確認した。なお、この研究を遂行するにあたって、補助金を用いてトマスとその周辺に関する文献を多数購入した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
5. 研究実績の概要に示したように、それらの研究の現在に至る進捗状況は、以下の通りである。 (1)まず昨年度以来の課題であった、トマス・アクィナスとボナヴェントゥラの情念論の源泉について、昨年度はサン・ヴィクトルのフーゴーの『愛の実体について』の翻訳を行い、サン・ヴィクトル学派からトマスら13世紀の神学者へと至る情念論の系譜の一つを確認することができた。サン・ヴィクトルのフーゴーを始めとするサン・ヴィクトル学派、ないし12世紀の神学者の思想は海外においても未だ研究の進んでいない領域の一つであり、愛の源泉という視点から12世紀と13世紀を架橋する見通しを得ることができたのは、本研究の成果であると考える。 (2)また、前期著作から後期著作へと至るトマスの情念論に関するテキストを検討した上で、情念を性質の一種として捉える同時代の神学者との対比的な視点をもとに、情念論に関するトマスの独自性を確認することができたのも今年度の成果であると言える。すなわち、魂の内に生じる情念を質と運動のどちらとして理解するかという問題は、13世紀の神学者であるアルベルトゥス・マグヌスの『善について』や『六つの諸原理について』の中でも既に言及がある。しかし、アルベルトゥスのそれらの著作と当該箇所に関する先行研究は限りなく少ない。また、そもそも情念を質として捉えることができるか否かといったことは、アリストテレスの『カテゴリー論』解釈を巡る問題でもある。それゆえ、トマスの情念論の独自性を明らかにするにあたっては、アルベルトゥスの情念論との関係、および情念の存在論的な位置づけに関するトマスの立場を明確にする必要が新たに生じたことに加え、COVID-19の拡大に伴い、学内業務が逼迫化していることもあり、論文としてまとめる上で時間を要している状況にある。
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今後の研究の推進方策 |
本研究に関する最終年度の計画は、以下の通りである。 1)まず、前年度に行ったサン・ヴィクトルのフーゴーの『愛の実体について』の翻訳を整理し、学術雑誌に投稿する。既に5. 研究実績の概要でも述べたように、愛、欲求、喜びの3つの情念を始点から終極に至る運動をモデルとして位置付けるフーゴーの説明は、トマスをはじめとする13世紀の神学者の情念論の源泉を明らかにする上で重要である。 2)次に、前年度から取り組んできたトマスの情念論に関して、トマスとアルベルトゥスの情念論との関係、および情念の存在論的な位置づけに関するトマスの立場を明確にした上で、学術雑誌への投稿を目指す。情念を魂に生じた運動として捉えることはトマスの情念論の独自性として語られることが多い。しかし、アルベルトゥスはそうした立場を認識した上で、情念は運動ではなく、質であると理解している。そうしたアルベルトゥスの立場と比較することで、情念論に関するトマスの立場がより明確になると考える。 3)さらに時間に余裕があれば、トマスの前期の著作である『命題集注解』をもとに、そこでの諸情念の中の愛の位置付けを明らかにする。愛が諸情念の中心に位置することは、後期の『神学大全』と同様に『命題集注解』においても変わらない。しかし、その説明の仕方とそこに登場する用語(transformatioなど)は『神学大全』の用語法とは異なり、同時代の神学者により近い(それらの用語はトマスの後期著作には登場しないものの、聖書注解には後期でも登場する)。同時代の神学者との対比という視点から上記の著作の読解を試みたい。 これら1)~3)の内、2)は、同時代の神学者との対比という視点から、諸情念の関係を自然学的な運動をモデルとして論じるトマスの独創的な試みを明らかにするものであり、本研究の中心をなすものである。特に3)に注力する。
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次年度使用額が生じた理由 |
今年度に関しては、学会・研究会への出張旅費を計上していたが、covid-19の感染拡大に伴い、オンラインでの学会・研究会の開催となったため、出張旅費を申請しなかった。次年度の使用計画として、現在準備中の英語論文の英文校正費及び、国内外の学会参加費を支出予定である。
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