高橋和己は時代の先鋭的な矛盾を体現する知識人の苦悩を小説で描き、知識人としての立場にも自覚的であった。今年度は、高橋の知識人論に焦点をあてて研究を進めた。文学理論研究の成果である「知識人の苦悩―漱石の『それから』について-」(1967)で実作『悲の器』(1962)を知識人文学と位置づけるなど、知識人とは何かが高橋にとって研究と文学において大きなテーマであった。 さらに、吉本隆明との対談(1968年5月)をもとに、吉本の「大衆の原像」と高橋の「庶民」を対比させ、高橋の知識人観や学問論を浮き彫りにした。1969年前後に高橋は、ロシア革命のインテリゲンチアとマルクス主義の知識人論を踏まえつつ、学園闘争で叫ばれる自己否定を文学的に捉え直した。文書館所蔵の京大闘争資料から学生が突きつけた問いを取り出し、学生との対話のなかで高橋が知識人論をどのように先鋭化させたのかを考察した。 これらの成果を「高橋和巳の知識人論―「わが解体」まで―」『京都大学大学文書館研究紀要第20号』で発表した。
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