戦後の作家である高橋和巳を戦後知識人として捉え直し、埴谷雄高、竹内好、吉本隆明らと比較しつつ、その戦後民主主義論や知識人論を明らかにした。高橋の民主主義論は、安保闘争に関わった埴谷や竹内の主張を受けたものであった。高橋は埴谷から自己権力論を、竹内から価値の選択やあらがいの考え方を受け継いだと見られる。さらに小田実や三島由紀夫との比較から、戦後日本は敗戦体験を思想化できておらず、超越的価値が不在の状態であると高橋は見なしていることが明瞭になった。高橋が京大全共闘を支持したのも、戦後日本のあり方に不満を持っていることが背景にあった。 また、高橋の知識人論は、万人が知識人になるべきであるという埴谷の知識人論からの影響が強いことが明らかになった。このことは、高橋が捉える庶民と吉本隆明が唱える「大衆の原像」を比較することにより明瞭になった。 さらに、高橋の思想形成を踏まえたうえで、1969年の京大闘争を分析した。高橋は全共闘支持を表明し、闘争の激しかった教養部の教官が置かれた立場にも共感を示していた。その後、教養部教官の一部の層は闘争を支持し、全学教官共闘会議の結成へと至るなど、動きを先鋭化させていった。こうした経緯などに焦点を当てて、農学部ゼネスト公判資料や医学部紛争関係資料などの新資料なども公開しながら企画展「1969年再考」(京都大学大学文書館主催)を開催した。 企画展開催に際して資料分析を行った結果、教養部関係資料の検討をさらに進めることにより、教官協議会の設置や内部批判、全学教官共闘会議結成などの一連の経緯を跡付けることが可能であるという知見を得た。
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