研究課題/領域番号 |
19K12989
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
洞ヶ瀬 真人 名古屋大学, 人文学研究科, 博士研究員 (10774317)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | ドキュメンタリー / メディア史 / 公害・環境問題 / 記録 / 水俣病 / 四日市ぜんそく / 映像表現 / 石牟礼道子 |
研究実績の概要 |
本年度も続くコロナ禍のもと、可能な課題を選別しつつ水俣病以外の公害に関連する主題も取り入れ研究に取り組んだ。 まず、石牟礼道子が1960年代に提唱していた「記録主義」について検証を行った。石牟礼の活動は、水俣病に携わった映像作家や写真家たちにもジャンルを超えて影響を与えているため、その依拠した「記録」の意義も公害に関する様々な表現を貫く視座になると考えている。 1950年代末の文化論壇では「記録」の捉え方に変化がみられ、当事者主体の意識から脱し、視点を記録物にゆだねることで問題を俯瞰する即物的な可能性がそこに求められていた。石牟礼の「記録主義」も、これを提唱した『現代の記録』(1963年)をひもとくと、この新たな意義に連なるものになっている。そこでは三池と水俣問題の両立が目指されているが、これらは、企業に見捨てられた労働者と、労働者が寄りたつ企業が犠牲にした地域住民というように、救いが求められる当事者主体に齟齬が生じる問題である。石牟礼のいう「記録主義」は、「記録」という人間主体とは離れた観点のもつ即物的な可能性に、労働者にも地域漁民にも政治的な相反を超えて寄り添うことを託している。 次に、「記録」に見出された新たな可能性を念頭に、土本典昭のドキュメンタリー描写を検討した。土本の作品については、水俣病における加害企業と被害者の関係をどちらにも与せず捉える「側面からの眼差し」が特徴的だと指摘されてきたが、これも「記録主義」に連なるものに位置づけられる。特に『水俣一揆・一生を問う人びと』にはそれが顕著に表れていることを分析検証し、成果をカルチュラルスタディーズ学会の年次大会にて発表した。 さらに四日市ぜんそくにも同様の観点を導入し、その記録者として有名な澤井余志郎や、その足跡をドキュメンタリーにしたと東海テレビの試みについても、制作者への聞き取り調査などを交え検証した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
本年度も、コロナ禍による活動制限の継続で研究をうまく進めることができなかった。ウィズコロナの機運が年度後半から出てきたものの、いまだアーカイブ施設の利用制限などや、聞き取り調査を行う対象者への負担を考慮しなければならない状況が続いたため、無理に進めても十二分な調査が行えないと判断しつつ、今後の状況改善に賭けて計画を延期した。 以前の状況に戻る見込みはないことも見えてきたので、今後は多少の障碍を覚悟しつつ、中止していた熊本・水俣地域への実地調査、NHK学術利用トライアルの利用などを再開させ、石牟礼道子らの記録表現やNHKドキュメンタリーなどの報道描写に対する検証を積極的に進めたい。他方、新たに取り組み始めた水俣以外の公害記録に関しては調査が進み、特に四日市ぜんそくについては、ドキュメンタリー制作の取り組みで長い歴史がある東海テレビの制作者に聞き取りや調査協力に応じてもらうことで、貴重な情報が得られたりもしている。これらを成果としてまとめ、早急に世に問えるように努力していきたい。 また、研究の過程で新たに浮上した課題として、倫理の観点を取り入れる必要性を感じている。公害の被害を受けた人々と環境の犠牲にどう向き合うかという倫理的な問題は、公害問題に携わった記録者たちが全てその根底に抱えているものだといっても過言ではなく、それゆえにかれらの活動と記録を追う本研究もこうした倫理課題を継承しなければならない。この問題で研究蓄積のある環境倫理の学知を取り入れてゆくことに加え、ドキュメンタリーや劇映画研究の分野でも倫理的な観点からの考察が先行している海外の映像研究にも倣いながら、本論が、犠牲の悲劇に向き合うための倫理という分野を超えた課題にも答えられる映像研究となるようにしてゆきたい。
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今後の研究の推進方策 |
まず、先送りにしていた次の課題に取りかかりたい。熊本・水俣地域での実地調査を熊本県立図書館、水俣病歴史資料館、熊本大学文書館などのアーカイブ施設を利用し行い、水俣病に携わった記録者たちの足跡を検証し直す。また、コロナ禍で中断してしまった存命の当事者への聞き取り調査なども実施できるよう努力したい。NHKドキュメンタリーに関する調査も控えてきたが、NHKアーカイブス「学術利用トライアル」に申請し、審査通過を果たせ次第、調査を進展させたい。 研究論考としては、公害に向き合う上で不可避のものとして見えてきた倫理という主題に対し、土本典昭のドキュメンタリー作品の時間と倫理に着目した考察を計画している。近年、原一男の『水俣曼荼羅』や、中国共産党の粛正の犠牲者を捉えたワン・ビンの『死霊魂』など、撮影にも膨大な時間をかけ現実の悲劇にむきあい、上映時間も長時間に及ぶ長編ドキュメンタリーが注目を集めている。この先駆に位置づけられるのが、土本の水俣での試みである。土本作品は各作品の上映時間こそ及ばないが、問題に携わった時間と残した作品の総時間はこれらを超えるうえ、代表作『水俣―患者さんとその世界』(1971年)は、元来6時間超の大作として構想されていた。また、悲劇の歴史に向き合うドキュメンタリーについての議論では、ホロコーストを描くクロード・ランズマンの大作『ショア』が必ず参照されるが、土本の試みはこれにも先行して表象・倫理・時間に関する問題を投げかけている。こうした作品の費やす時間の長さには、撮影対象に向き合う制作者の倫理的責任と、作品が観客に要求する倫理感が言葉を超えて記されているように思われる。この点を、他者への倫理と時間の思想を展開したエマニュエル・レヴィナスなどの議論に照らしながら検討してみたい。成果は、カルチュラル・スタディーズ学会などでの研究発表や出版物での公表を目指す。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ禍継続のため、本年度も研究集会の開催などは見送った。また、他カ所で行われる学会・研究会なども多くがオンライン開催されるため、旅費負担がかからないようになっている。人流制限などの活動抑制政策を受けて、調査旅行なども控えめに行ってきた。こうしたことにより、研究費の未使用分がかなり生じてしまった。ウイルスと共に行動せざるを得ない状況もみえてきたため、今後は研究期間を延長し、持ち越した予算でこれまで自粛してきた現地アーカイブ施設への調査旅行や聞き取り調査、研究会などを積極的に行っていきたい。
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