研究課題/領域番号 |
19K13004
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研究機関 | 愛媛大学 |
研究代表者 |
野村 優子 愛媛大学, 法文学部, 准教授 (50804134)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | ユーリウス・マイアー=グレーフェ / ジークフリート・ビング / ジャポニスム / 我々はどこへ漂いゆくのか / ドイツ美術工芸 |
研究実績の概要 |
本研究は、1890年代に始まるドイツ・ジャポニスムの新たな興隆が、フランスを経由してドイツへともたらされたその顛末を明らかにするため、ドイツ人美術商ジークフリート・ビング、ドイツ人美術批評家ユーリウス・マイアー=グレーフェ、ベルギー人建築家アンリ・ヴァン・ヴェルデに注目し、それぞれ立場の違う彼らの活動を追いかけながらドイツ・ジャポニスムを多角的に考察するものである。 最終年度となる予定の2021年度も新型コロナウィルス感染症の影響により、本研究の重要な部分であるドイツ調査旅行は叶わず、大学業務にも多くの時間を割かれ、研究に専念することが困難な一年であった。現地調査による新たな資料の入手ができなかったため、今年度も引き続きビングとマイアー=グレーフェの美術批評「我々はどこへ漂いゆくのか?」の分析を行った。この二つの美術批評の比較検討には、二人の出会いやパリでの共同活動、先行するマイアー=グレーフェの美術工芸に関する雑誌記事、当時のドイツ美術工芸をめぐる論争やその後台頭する前衛美術運動を把握する必要があるため、それらの文献を集めて分析し、論文としてまとめた。この成果は現在、学会誌に投稿中である。この研究の過程で、1890年代のマイアー=グレーフェの美術批評には日本文化や美術についての言及が多いことが判明し、その後「マイアー=グレーフェの日本美術批評」研究に着手した。一見、日本との関連が薄いように見えるマイアー=グレーフェが、いかにして日本に関する知識を得たのか、その背景を当時のドイツにおける日本美術批評や美術工芸をめぐる言説と関連づけて探ることにより、当時のドイツにおけるジャポニスムの状況を浮かび上がらせようとしている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
昨年度に着手したビングとマイアー=グレーフェの美術批評「我々はどこへ漂いゆくのか?」は1897年と1913年に書かれ、両者を比較検討するためにはそれぞれの時代におけるドイツ美術界の状況を踏まえる必要があり、それは応用芸術と純粋芸術という異なるジャンルに跨る問題を含んでいた。それらに関するマイアー=グレーフェの美術批評は数多く、読み込むのに時間を取られたし、当時のドイツ美術工芸を取り巻く状況の把握にも手間取った。そのため、論文の仕上がりが遅れ、予定していた新たな研究を発表する機会を持てなかったため。
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今後の研究の推進方策 |
本年度末に開始した「マイアー=グレーフェの日本美術批評」研究を軌道に乗せるべく、まずは1890年代ドイツにおける日本美術についての言説を集め、マイアー=グレーフェが日本に関する知識をいかに得たのかを見極める。次に、マイアー=グレーフェの日本美術批評に目を向けてその特徴を突き止め、ドイツにおけるジャポニスムへの彼の貢献度を探りたい。並行して、ビングの雑誌『芸術の日本』のドイツにおける普及を明らかにするため、この雑誌のドイツ語版出版に協力したベルリン美術工芸博物館、ケルン美術工芸博物館、ドレスデン美術工芸博物館で調査を行い、出版の背景とこれらの美術工芸博物館とジャポニスムとの関わりを考察する。
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次年度使用額が生じた理由 |
この研究では三度のドイツ調査旅行を計画し、その予算が全体の大変を占めていたが、新型コロナウィルス感染症の影響により渡航ができなかったため、次年度使用額が生じている。この金額は今年度調査旅行を夏と冬に実施することで使用したい。
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