研究課題
若手研究
明治25年に正岡子規が登場して本格的な俳論を発表しはじめる以前、俳壇とは直接関わりのない文芸批評の領域において、俳諧が明確な文学的価値観のもとに捉えられていた諸相を批評家内田不知庵を中心に考察した。具体的には最初期の不知庵の文芸批評から明治25年の『文学一斑』までの記述に含まれる俳諧に関する言説を調査・整理し、その引用元に遡りながら、不知庵の俳諧観を検討し、またどのような俳書を読んでいたのかについても明らかにした。
日本文学
研究成果の学術的意義としては、従来ほとんど言及・考察されることのなかった子規以前の俳諧に関する言説について、おもに文芸批評の領域のなかでどのように語られていたかを考察したことにある。批評家として活躍をはじめていた内田不知庵がある出来事から俳書と出会い、それを繙読し、自らの文学観を通して俳諧を捉え評価していく。本研究ではそれを時系列に明治25年の『文学一斑』における叙情詩として俳諧を位置づけるところまで検討した。