研究課題/領域番号 |
19K13059
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研究機関 | 和洋女子大学 |
研究代表者 |
木村 尚志 (木村尚志) 和洋女子大学, 人文学部, 准教授 (80736182)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 戦乱 / 仏教 / 西行 / 藤原実方 / 室の八島 / 大原 / 道 / 藤原俊成 |
研究実績の概要 |
令和元年度は、「中世の歌枕詠の現実主義的傾向」の一因としての「中世社会の政治構造的実態に応じた固有のあり方」について二つの観点から考察をした。その二つの研究成果について以下概要を述べる。 西行と小野・大原のかかわりに関する研究では、小野・大原の「道」が『伊勢物語』の業平が惟喬親王のもとへ雪を踏み分けて通った道、小野の炭焼きたちの労働のための道、真言宗小野流の秘事を表す道の三つの意味の広がりを持っていることを論じた。つまり、王朝物語、炭焼き、仏道という概念が交錯する意味の地平にある。良暹法師への西行の深い尊崇は、和歌と仏道の二つの道に邁進する数寄の精神に対するものであった。また良暹の同時代の『源氏物語』や和泉式部の和歌での小野・大原の取り扱われ方にも、文学と仏道の深い融合が見られ、その影響を西行らは受けている。そうして、文学から仏教へと結びついた小野・大原の「道」は鎌倉時代の真言宗小野流の和歌において、仏教の秘儀を表すものとされた。その基盤を作ったのは西行であった。 室の八島に関する研究では、俊成の「いかにせん室の八島に宿もがな恋の煙を空にまがへん」という歌の結句「空にまがへん」の再解釈を軸として、実方左遷説話と実方の「いかでかは思ひありとも知らすべき室の八島の煙ならでは」が習合して院政期における『実方集』の物語的な方向への改編を促したこと、平治の乱で室の八島のある下野へ遠流となった源師仲の歌「思ひやれ室の八島にしほたれて煙になれし袖の景色を」という歌を、俊成が「思ひやれ室の八島に年を経て煙になれし袖のけしきを」と添削をした時期と、「いかにせん」の歌の詠出の時期が重なり、俊成は実方左遷のイメージを師仲左遷に重ねていたであろうこと、後世俊成歌の影響を受けた歌の用法から推して「空にまがへん」は煙をひめやかに空に立ち昇らせるという象徴的表現であることなどを論じた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
本年度は二つの研究成果を、一つは西行学会で発表した上で、査読誌『西行学』への掲載という形で公表することが決定し、もう一つは和歌文学会例会で発表した上で『和歌文学研究』に投稿したが、多くの建設的意見をいただいた上で再投稿を促していただく結果となった。二つ目の目下改稿中の論文も、意見を反映することによって見違えるものになった。具体的には、「空にまがへん」の「まがふ」をひそやかに空に立ち昇らせるの意であることに気づき、そこに俊成の独自性と、実方左遷説話の反映がある(流人の都への執心の表現)という見通しを立てることができた。これについては五月に再投稿し、冬に発刊の『和歌文学研究』への掲載を目指すため、推敲に万全を尽くすつもりである。 また実地踏査も相当の回数に上り、主に京都を中心に、中古、中世の文学や仏教にかかわる歌枕、寺社を訪問した。中でもいくつか今後の研究テーマとしたいものがあったので、実地踏査による知見の開拓ということで紹介する。 船岡山、雲林院の周辺について、この二つが隣接することの意味を考えてみたい。船岡山は『枕草子』にも出てくる都人が若菜や蕨を摘んだ歌枕として有名である。そして、かつて雲林院は大寺院で、現在の今宮神社も含むこの辺り一帯を含むものであった。ここは『大鏡』の菩提講や能雲林院の舞台でもある。この広大な宗教的空間がどのような磁場をもって文学の舞台となったかを論究する。 もう一つは院政期の仏教における一つの特徴である経筒についてである。西行が若いころ大原に籠ったのは大原からさらに峠道を超えた福井との県境に近い花背別所であるという五来重氏の説がある。福田寺は毘沙門天像とともに、経筒が出土した寺で、もし院政期の大原がここをも含む地域であり、若き日の西行がいたとすると、西行の数寄という概念も目崎徳衛氏とは違う仏教寄りの見方をしなければならなくなるであろう。
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今後の研究の推進方策 |
院政期以降の歌枕詠を読む際に、その土地に付着する宗教的、政治的な概念を念頭において読むという試みを継続する。純粋な風景表現だけではなく、比喩性を帯びるということである。 まず宗教的概念について。院政期仏教において爛熟期を迎えたという秘密修法は、和歌の奥義とも結びつき、鎌倉以降の和歌を方向づけたという見通しを持っている。仁和寺御室の守覚法親王、覚性法親王とその周辺、そこで活躍し歌論書を書いた六条家の顕昭などの和歌活動を考える一つの視点となるだろう。金子英和氏や穴井潤氏等の研究者と連携する。そこには和歌の秘事の問題も絡む。その代表である古今伝授については、講釈伝授の発生時点を考究されている浅田徹氏と連携したい。三島由紀夫は川端康成のノーベル文学賞と、俊成の九十賀を重ね、師である川端康成の夜中の苦吟により紡がれる文学の言葉が、国家的栄光に結びつく不思議を表現した。平安中期以来の和歌と仏道の融合には、例えば道長の栄華を支えた『源氏物語』にせよ、そうした国家的栄光との不思議な結びつきがあったように思われる。 国家的栄光と文学という観点を持つからには当然、政治的概念についても論究すべきであろう。例えば「もろこしの吉野」という院政期に登場する歌枕は、秦の始皇帝の時、国難を避けて商山に入った四人の隠士の故事商山四皓に基づき、中世の草庵文学への流れに位置づけられる。また、中世を通して吉野の桜を愛で、吉野を桜の名所とした西行も、この地に南朝を打ち立てた後醍醐天皇も、政治的な難から逃れ住む地というイメージを有していたのでろう。そうした位置づけが可能な歌枕として、他に隠岐や室の八島などがあげられ、これらの歌枕の展開はまた様々な説話の形成ともかかわりが深いのである。 その主に二つの観点に基づき、今年度も実地踏査、及び広い分野に及ぶ文献の網羅的な収集を行い、知見の集積と資料分析を行っていきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
100円という少額は端数として生じたものであり、翌年度分の助成金と合わせて使用する計画である。
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