研究課題/領域番号 |
19K13059
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研究機関 | 皇學館大学 |
研究代表者 |
木村 尚志 皇學館大学, 文学部, 准教授 (80736182)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 東野 / 十六夜日記 / 足柄の道 / 武家法 / 柿本人麻呂 / 藤原為家 / 阿仏尼 |
研究実績の概要 |
柿本人麻呂の和歌「東野に煙の立てるところ見てかへり見すれば月かたぶきぬ」には、鎮魂と忠誠という忠臣人麻呂像を形成する二つの政治的テーマが詠まれている。その政治性に引き寄せられる形で、「東野」という歌語は中世には人麻呂歌の元来の意味を離れて、西の京の政治や文化を東の鎌倉と結び付ける外交的役割を果たした。東国に最初に春が訪れ、霞も東から西へと移ろって都へとやってくるとの観念は、鎌倉期の公武協調への願いとして慈円が詠みはじめ、室町期にも都鄙合体の象徴として受け継がれた。「幕府の意向」を意味する「東風」や「東日」という言葉も九条家に近い人物の書いた貴族日記・書状・紀行文に用いられた。中世の勅撰集は承久の乱後、幕府の認可を必要とするようになった。勅撰集の企画が出て来ると、その撰者をめぐって歌道家の間、またはその内部で争いが起きる。そしてその争いが活発化する時期に「東野」の和歌の用例が増えている。それは、鎌倉期に歌語「東野」が勅撰集撰者の認可権を持ち、それと同時に歌道そのものを解する能力も有するようになった幕府の、記号的表現となったからである。この研究について和歌文学会例会における発表や『皇學館大学紀要』への投稿といった成果が上げられた。 『十六夜日記』の流布本に見られる長歌の中の「足柄の道」について、これを一部の伝本の「葦原の道」で歌道の意と解する見解に対して、『角川古語大辞典』の「あしはらのみち」の項に「『あしがらの道』が正しい本文で、鎌倉幕府法を指すと考えられる」としているのを支持し、『十六夜日記』の文脈や阿仏尼の文学、そして御子左家の歌道のあり方から再検証している。「足柄」に関しては和歌文学会大会で発表を行い、引き続き論文化に向けて学会で不足の指摘された『十六夜日記』の文脈からの考察を試みている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型コロナウイルスのパンデミックや育児休業等で中断の時期を挟んだが、職場が代わり、科研費を執行する作業ルーティーンが前職よりも自分に合っており、研究に割く時間を確保できる職場でもあったため、大きく進展させることができた。上記以外に、R6年度に入って公刊される長柄の橋を取り上げたもう一つの業績も存在する。したがって、今年度の研究業績の点数的には物足りないが、次年度に持ち越される課題が具体的で、画期的であるがゆえに、おおむね順調であると自己評価した。
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今後の研究の推進方策 |
長柄の橋に関する問題について『日本文学』の2024年5月号に論文が掲載される。これに関して「いまは富士の煙もたたずなり長柄の橋もつくるなり」という『古今集』「仮名序」の一節の現行の解釈に対して疑義を呈する画期的な発見に繋がり得るものとして現在鋭意論を発展させていく。さらには駿河国大畑に住む世捨て人が書いた『閑谷集』についての荘園に着目した研究や所領争いの絡む『十六夜日記』の研究など、中世史のメインテーマである荘園問題を、文学の畑に取り入れてゆくにはどうすればよいか、それによって見えて来る歌枕観とは何かといったことを研究してゆく。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究内容に関し、十分な成果を挙げ、一つの方向性を明確に打ち出した全体の成果をまとめ上げるためには、もう一年の時間が必要であると判断したため。
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