本研究は、江戸時代後期の儒者・文学者である松崎慊堂の漢籍享受と漢籍出版について、その具体的な様子を検討し、江戸漢学史・近世出版史におけるその地位と意義とを検討した。 松崎慊堂は日常、広く経史子集にわたって漢籍を愛読し、その日記・文集に読書感想や、親友との討論を詳しく記している。本研究は、作者名と書名・作品名をキーワードとして、彼の日記・文集に言及される漢籍の索引を整理した。それによって、慊堂が経書のみならず、集部の漢籍にも深い注意を配ることが分かる。とくに六朝時代の陶淵明に対する愛好は、彼の出処進退に影响を与え、江戸時代における陶淵明受容の大変興味深い一例になっている。 松崎慊堂が刊行した漢籍は、従来、『爾雅』『唐石経』などの経書を中心にして論じられており、しかも、刊行された漢籍の内容自体に注目し、それらの漢籍がどのように刊行されたことについて全く無関心のようである。本研究は、上記の索引を踏まえて、慊堂が刊行した漢籍に関連する記述を抽出し、年代順に配列した。それによって、慊堂がなぜその漢籍の刊行を決めたか、刊行の準備作業がどのように行われたか、だれの支援を求めたか、刊行した後、どのように宣伝したかなど、漢籍刊行の具体的な様子を明らかにした。そこで、慊堂が刊行した漢籍は、彼自身の読書趣味と、当時の文学風習に強く関連していることが分かり、その刊行過程において昌平坂学問所を中心にする江戸の漢学者たちの広い支援を受けていることが解明された。
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