本研究は、現代漢語方言の広域語形分布地図と、高精細度の狭域詳細地図を作成・分析し、史的文献調査とつきあわせることで、漢語常用語彙の変遷過程及びそのメカニズムを明らかにすることを目的とする。長江下流域で方言差が大きくあらわれる語彙項目を手がかりに研究を推進し、漢語常用語彙史の解明を目指すとともに、長江下流域が漢語方言史・漢語語彙史において果たす役割についても考察する。 2019年度は名詞項目を分析対象として「顔」・「洗面器」、2020年度は形容詞項目を分析対象として「(背が)高い・低い」、2021年度は、動詞項目を分析対象として「(人を)呼ぶ(call out)」を表す語をそれぞれ扱い、各語の発展の歴史とそのメカニズムを明らかにした。最終年度である2022年度は、「雨が降る」をとりあげる予定だったが、長江下流域に分布する方言の性質を明らかにするという目的のもと、南北対立を示すサトイモ・ナガイモ、アワの分析を優先することとした。 サトイモを表す語は、北方では栽培状況を反映してほとんど報告されず、南方では「芋」系語形が分布する。他方、ナガイモを表す語は北方に「山薬」、南方に「薯」系語形が分布し、南北対立を示す。「山薬」も「薯」系語形の変形と見なしうることから、ナガイモは「薯」、サトイモは「芋」という使い分けが認められる。アワを表す語は、植物名と脱穀後の実の呼称が区別される。植物としてのアワは、北方に「穀」系語形、南方に「粟」系語形が分布し、南北対立を示す。アワの脱穀した実を表す語形は、北方に「米」系語形、南方に「粟」系語形が分布し、やはり南北対立を示す。これらの語では、植生とも関わって長江付近が異なる系統の語形の境界となっていることが明らかになった。
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