令和5年度は、科学研究費補助金(研究成果公開促進費・学術図書、令和5年交付)により、本研究事業を含むこれまでの臣下服喪儀礼や挙哀儀の日中比較による研究成果を論文集として刊行した(拙著『日本古代国家の喪礼受容と王権』汲古書院、2024年2月26日刊行)。当該図書の刊行に際しては、令和4年度より各論相互の関連性の確認や事実関係の見直しを行い、論文集としての統一性をはかっていたものの、本年度の校正段階で新たに史料解釈の変更や論理展開の不備、表記の不統一が多く見つかることとなった。したがって、本年度の大半を校正、および文章の追記、差し替え、結論部分の改稿に費やすこととなった。 こうした状況から、当初計画していた中国南朝の喪礼の考察にあまり時間が取れず、『宋書』『南斉書』の調査のみとなった。調査の結果、①宋や斉では喪礼のあり方を議論する際、魏晋の故事が多く参照されたこと、②実際、斉の建元4年3月の太祖(高帝)崩御に際して行われた臨(哭泣儀礼。日本では挙哀儀)では、東晋の成恭杜皇后(咸康7年崩御)の事例と同様、内廷官司と外廷官司で哭泣の頻度に差が設けられたことが確認できた。なお、その他の実績として、第75回正倉院展(10月28日~11月13日)の閲覧(聖武天皇一周忌斎会で使用された道場幡・灌頂幡の実見)、儒仏習合の考察にあたり日中の仏教史に関する研究の収集を行った。 本課題の目的は日中の君主・后等の喪礼(臣下服喪、挙哀、臨)を比較し、日中の官僚制や君主制の特質を明らかにすることであった。全体を通して、①中国の君臣秩序が官僚制と密接な関係をもつのに対し、日本の君臣秩序が官僚制にあまりとらわれていないこと、②その背景に日本固有の氏族制的な奉仕観念があったこと、③その氏族制的観念が唐風化の進展にもかかわらず、10世紀半ばまで存続し、新たな喪礼を生み出す契機となったことの3点を明らかにした。
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