最終年度では、主に十勝地方を対象に、戦前~戦中期の北海道における移民受入地としての役割について、明らかにすることができた。十勝地方では、特に、北部の士幌村や中央部の大正村(現在の中札内村、更別村)では、昭和初期段階にあっても開拓段階を脱しておらず、国策にすえられていた北海道第二期拓殖計画の下で積極的な移民の受け入れが行われていた。その一方では拓務省によるブラジル移民政策や戦中期の「満洲」移民政策の影響により、新得村や豊頃村では、戦中期における牧場経営者や農事指導者の流出が顕著であった。なお、池田町では、海外移住後の移民と地域有力者とのつながりを把握できた。 本研究課題を通じて明らかにすることができたのは、戦中期の北海道が有していた、海外への人材供給地としての役割と、北海道がそれ自体の移民の受け入れ地としての側面という、当該期の北海道の有する二面性である。戦中期の北海道では、北海道第二期拓殖計画のもとで、移民の受け入れ・人口の増加が、国家的課題に据えられていたが、日中戦争期以降は、これと並行して、海外(主に「満洲国」)の移民を指導・監督する人材の供給地としての役割が付与された。人材供給地としての役割は、北海道それ自体の移民受入地としての役割を低下させていたと見られる。 今後は、北海道それ自体の移民受入地としての役割を明らかにしていくために、戦後を対象として、北海道開発の一環としての酪農事業の展開過程について研究していきたいと考えている。
|