本研究は、戦間期日本の国際連盟外交の実態を、外務省内の「連盟派」と呼ばれた外交官たちの活動を通じて明らかにするものである。主要な研究手法は、国内外の一次史料を収集・解析するアーカイバル・リサーチを採用しており、研究期間中に複数国のアーカイブスを訪問する予定であった。ところが期間中にコロナウィルスによって海外への渡航が不可能となったため、コロナ禍以前に収集した一部の史料、および国内で収集可能な史料を利用し、主に以下の成果を得た。 第一に、国際連盟発足初期の1920年代前半期において、「連盟派」の外交官がヨーロッパの戦後処理問題にかなりの程度関与していたことが明らかとなった。その一例として、大戦前にドイツの支配下にあったダンツィヒ(現・グダニスク)が自由市として連盟の保護下に置かれることになると、石井菊次郎や安達峰一郎といった日本外交官がこの問題に積極的に関与し、英仏ら他の連盟国の調整役を担った。 第二に、集団安全保障機構としての連盟の活動に実行力を持たせるために重要であった国際裁判制度に関する「連盟派」の認識である。従来の仲裁裁判に代わり(あるいは補強するために)、連盟は常設国際司法裁判所を創設するのだが、これへの「連盟派」の関与についても部分的に明らかになった。 総じて、先行研究では十分に明らかではなかった1920年代の「連盟派」の活動、ひいては日本の連盟に対する貢献について部分的ながら明らかとなった。より多様なイシューや、1930年代の活動については今後の研究課題としたい。
|