本研究の目的は、満洲移民(満蒙開拓団)を送り出した地域・母村が、敗戦後、引揚者をどのように迎え入れたのか、また、引揚者がどのような援護を受け、「戦後」を生きていったのかを明らかにすることである。対象地域としては、これまでの自身の研究において中心的な位置を占めていた長野県や山形県以外の府県を設定している。 最終年度にあたる2022年度は、これまで実施してきた徳島県名西郡神山町における調査を継続する一方で、ようやく学術論文として成果を公表することができた。分析からは、1950年代前半までに地域において生活再建を図る引揚者の多くが貧困状態から脱していたこと、地域における共同体的諸関係や兼業・多就業的な家族経営によって生活再建が図られたこと、引揚者の生存を維持する手段として生活保護・戦後開拓・農地改革など戦後改革期の諸政策が重なり合いながら選択されていた事実が明らかになった。こうした引揚者の姿は、先行研究で指摘されてきたような都市部における貧困層の形成、炭鉱への流入、開拓農民としての村外への送出など、村落社会からの「排除」の局面のみでは把握し難い引揚者の生存のあり方を表している。ただし、上記のような引揚者像はあくまで暫定的なものであり、今後、他の地域との比較分析や離村者の動向を含めて評価していく必要がある。戦後日本社会の中での引揚者の生活や経験をめぐる分析はまだ緒についたばかりであり、今後、さらに地域レベルや府県レベルでの実証研究を進めつつ、総合化を図っていきたい。
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