本研究では、近世中期の朝鮮通信使行列の通行実態を、幕府、諸大名、沿道諸国、対馬藩の四者の立場から解明し、商人請負制の影響を考察した。研究分析では、盛岡藩、弘前藩の事例を分析した。享保4年(1719)の場合、諸大名は乗馬役(騎乗用)、沿道諸国の村々は人馬役(荷物運搬用)を担当し、役負担は完全に別物であった。しかし宝暦14年(1764)は、幕府と対馬藩の方針で、大名課役の一部に請負商人の公的介入が明らかになった。今後、東北大名の経済的負担について、対馬藩の史料も照合する必要があり、対馬易地聘礼や通信使途絶の要因として継続的に研究すべき課題である。
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