令和5年度は、研究目的である戦時期の地方内政・軍政の解明の内、軍政部門に当たる西部軍管区・第十六方面軍司令部の調査を主に進めた。さらに最終年度として、研究成果の発表も積極的に行った。 まず防衛省防衛研究所等において、西部軍管区・第十六方面軍司令部に関する旧陸軍・旧軍人の文書を閲覧・調査した。その結果、この司令部は昭和20年6月以降、方面軍司令部の機能は現在の筑紫野市山家の地下壕に移転させたが、軍管区司令部の機能は旧来の福岡市の司令部にほぼ残されていたこと、作戦構想をめぐって上級組織・隷下部隊それぞれとの間で不満や不信感を発生させていたことなどを明らかにした。また司令部創設の経緯をすでに調査済の内政面の広域地方統括機関(九州地方行政協議会・九州地方総監府)と関連付けて再確認し、司令部の創設で福岡市が自己を軍都と位置付けていたことも明らかにした。これらの研究成果は『九州歴史資料館研究論集49』に投稿、掲載されている。 次に、研究協力者を中心に筑紫野市山家の司令部地下壕に関する調査も進めた。この調査は当初、地下壕入口のGPS測量を予定していたが、既存の調査図面の統合で相当程度の精度の図面を作成し得ることが判明したため、この方法に変更した。また地元関係者の史料である山家村日誌等も調査し、地下壕建設に関する記事の抜粋を作成した。 さらに調査の一方で、研究成果の発表も進めた。まず、すでに調査を完結させていた九州地方行政協議会・九州地方総監府に関する特集展示「昭和の大宰府再置」を、研究代表者が勤務する九州歴史資料館で開催した。10月には九州史学研究会大会で「戦時期九州統括機関の構想と実態~九州地方行政協議会と九州地方総監府~」と題して学会発表も実施している。そして最後に令和6年3月31日、これまでの研究成果をすべて取り纏めた研究成果報告書を刊行し、研究は完結した。
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