研究課題/領域番号 |
19K13368
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
伊藤 一馬 大阪大学, 大学院人文学研究科(人文学専攻、芸術学専攻、日本学専攻), 招へい研究員 (90803164)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 北宋 / 辺境軍事社会 / 宋夏戦争 / 経略安撫使体制 |
研究実績の概要 |
本年度も昨年度までと同様、北宋の軍事指揮官の伝記史料・墓誌史料の蒐集・整理、ロシア所蔵「宋西北辺境軍政文書」の訳注作業、中国甘粛省・陝西省・寧夏回族自治区に残る宋代の石窟寺院銘文題記の蒐集・整理、非漢人や軍人に関わる石刻史料・仏教史料の蒐集・整理を継続して行った。 また、北宋と西夏との軍事衝突(宋夏戦争)が勃発した十一世紀半ばに、北宋の西北地域で構築された経略安撫使体制と対西夏戦略との関係を分析した。西夏軍の侵攻に備える西北地域では、西夏軍の軍事行動やや兵力・経路などを迅速かつ正確に察知・伝達するために烽火台(烽燧)や偵察部隊、駅伝などの情報収集・情報伝達の手段・組織が整備され、その情報をもとに各拠点に配置された兵力が連携して対応するという防衛戦略が北宋側の基本的な姿勢であった。そして、情報収集・伝達や作戦行動の実行において重要な役割を果たしていたのが、軍事拠点である堡寨およびそこに駐屯する部隊・指揮官であった。 西北地域で確立された経略安撫使体制は、末端の烽火台や堡寨から経略安撫使をつなぎ、西夏軍の侵攻を前提とした防衛戦略を体現するためのものであったと言える。また、唐後半期からの地方軍事体制の変遷は、唐後半期の節度使体制、北宋初期の都部署体制、そして宋夏戦争期以降の経略安撫使体制と推移したと位置づけることができる。そして、この経略安撫使体制が、北宋滅亡・両宋後退期にいたるまで、西北地域における軍事体制の基盤として存続していくのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
新型コロナウイルスや紛争の影響で、ロシアでの「宋西北辺境軍政文書」の実見調査や、中国甘粛省・陝西省・寧夏回族自治区での現地調査・資料調査を見送らざるをえなかったため。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの史料蒐集・整理作業を基に、北宋期を通じた軍事基盤の展開や西北辺境軍事社会のありかた、東部ユーラシア情勢との連動性について見通しを示す。 海外での調査については、新型コロナウイルスの感染状況、中国やロシアの現地の状況を見極めつつ、現地調査・史料調査の可否を検討する。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウイルスや紛争の影響により、海外での現地調査を断念せざるを得ず、また国内で参加を予定していた学会・研究会にオンライン開催となったものもあるため、次年度使用額が生じた。国内外の状況を見極めつつ、海外旅費・国内旅費の使用を検討する。
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