研究課題/領域番号 |
19K13386
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
紫垣 聡 大阪大学, 大学院人文学研究科(人文学専攻、芸術学専攻、日本学専攻), 助教 (90712745)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 官房学 / 人口思想 / 人口統計 / ズュースミルヒ / プロイセン / ポリツァイ / 科学と政治 |
研究実績の概要 |
2022年度はこれまでの研究成果の一部を、論文「ズュースミルヒ『神の秩序』と人口の統治」(『待兼山論叢』56号(史学編))として発表した。ヨハン・ペーター・ズュースミルヒはその主著『神の秩序』(1741年)において、人口動態の法則性を発見し、人口統計学の基礎を築いた。そのさい彼は自身の知見を政治的、経済的に応用することを意識的に避けていたが、1761/62年に刊行した改訂版では一転して、人口を増やすための政策を積極的に提言している。何がこの変化をもたらしたのか、本論文ではズュースミルヒ自身の経験と、18世紀半ばにおける知的潮流の両面から解き明かした。1757年のベルリンで下層民の死亡率が上昇したことの背景に社会経済的な要因を見いだしたズュースミルヒは、人口秩序を政策的に応用する可能性について自信を深めた。同じ頃、ドイツだけでなくヨーロッパ規模で、自然の秩序にもとづく統治によって人間社会をよりよく統御し、人民の幸福を促進できるという思想が広がっていた。ズュースミルヒが展開した人口政策は、ドイツ官房学を大成したJ.H.G.v.ユスティやフランスのフィジオクラット(重農主義者)らの所説とともに「計る統治」として捉えられるものであった。以上が本論文の概要である。 興味深いことに、統治論において自然の秩序にもとづく人口政策が現れた1750-60年代から、プロイセン政府は人口および出生者・死亡者数の変遷、家畜頭数、農業・工業生産に関する統計調査を制度的に実施していた。2022年度末には長らく延期していたベルリンでの資料調査を行い、上記のプロイセンにおける公的統計に関する史料を収集した。これらの分析を通して、ズュースミルヒや官房学の統治論にみられる「計る統治」のコンセプトと、国家による統計調査との関連について考察を進めることができるだろう。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
上記の研究実績の通り、ズュースミルヒや官房学の人口政策については当初の計画をおおむね達成できたが、それがプロイセン政府の実際の政策とどのように関連していたかはいまだ明らかではない。当初は2022年9月頃に予定していたドイツでの資料調査を、コロナ禍の影響などにより2023年3月に行ったため、統計史料を用いた研究を十分に進めることが困難となり、やむをえず課題期間を延長した。
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今後の研究の推進方策 |
本研究の遂行において重要なのは、人口の統治に関する議論・思想が、政府の政策や統治の実践とどのように関連していたかを明らかにすることである。これまでの研究から、官房学の人口論がダイレクトに現実の政策に反映されたとは考えにくい。しかし18世紀後半のプロイセンにおける人口統計の制度化が、統治の学としてのポリティカル・エコノミーと無関係に進展したわけでもないだろう。統計調査に関して交わされた書簡や指示、報告などの史料から、公的統計の成立を支えた構想を読み取り、それが官房学の人口論とどのようにつながっていたのか、あるいは異なっていたのかを明らかにしたい。 人口調査は比較的早期から、単に居住者数だけでなく性別や身分などの項目別に数えるようになり、それは婚姻数・出生数・死亡数をまとめた生命表(Seelentabelle)も同様である。具体的に何を数え、どのように表を作成するかについては中央政府から指示が送られており、統計調査が拡充するプロセスをたどることで、政府や官僚が考えていた統計の意味や目的を考察する。
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次年度使用額が生じた理由 |
2022年度末にドイツでの資料調査を行ったため、事前に余裕をもって設定しておいた予算の余りを同年度内に消化できなかった。翌年度に主として研究文献等の物品費として使用する予定である。
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