本研究は、第一次世界大戦前夜におけるハプスブルク帝国の支配の特性を、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(以下、ボスニア)の併合からボスニア憲法の制定に至る過程を糸口として解明することを目指してきた。まず最終年度の成果は以下の2点である。 第一は、ハプスブルクとセルビアの関税戦争、通称「豚戦争」に関する論考である。本論考は、第一次大戦の開戦責任論争においてセルビアを批判したC・クラークの所論に対する経済史的な実証をともなう反論である。本稿によってボスニア統治に深く関わり、ハプスブルク帝国の要路者にとって最も深刻な民族問題、南スラヴ問題の一端、とくにこの問題の外交面での意義を明らかにできた。 第二は、日本=ハプスブルク関係史において重要な意義をもつフランツ・フェルディナント大公の日本訪問の検討である。本稿の特徴は、フランツ・フェルディナントの日記を史料として彼が日本に向けた眼差し、ならびに訪日に際しての日本側の準備作業を解明しただけではなく、明治日本の勲章制度を紹介しつつ、勲章外交の視座から彼の訪日の意義を論じた点である。 次に、研究期間全体を通じての成果を論じておきたい。新型コロナ禍による渡航制限のため、研究課題の中心をなすボスニア憲法の制定過程の検討については、憲法の原案の検討にとどまった。その一方、上述した最終年度の2つに加え、以下の成果があったことを付記しておきたい。第一は、サライェヴォ事件に関する記憶の問題である。サライェヴォ事件の犯人G・プリンツィプの評価を糸口とした大戦の記憶政策のありよう、ならびにそれと第一次大戦の開戦責任論争の現在を明らかにした。第二は、ハプスブルクのボスニア統治と同時代の植民地統治の比較、とりわけ日本の台湾統治との類似性の検討である。この視角は、ボスニア統治の植民地支配的な性格の解明を目指す海外における研究動向をふまえたものである。
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