本年度は、前年度までに引き続きドイツ自由法論の構想を掘り下げ、論者間の差異も踏まえつつ、特に裁判と感情の関わりについて検討を進めた。加えて、アメリカのリーガル・リアリズムについて、その知的・社会的背景に留意したうえで、一次文献の精査を行った。国を跨いだ2つの潮流に存する共通の精神について一定の見通しを得た。 第一に、自由法論に対する一般的な批判について検討した。すなわち、自由法論は裁判官の感情に任せて裁判を促すことによって法的安定性を撹乱する「感情法学」であるという批判であるが、これは自由法論への的確な評価とはいいがたいことを前年度までの研究を発展させるかたちで示した。自由法論が裁判における感情の要素を直視したのは確かであるが、そこでの力点は、裁判官が自らの感情に従うことの推奨ではなく、取引社会や実社会の人々の感情を取り入れる試みにあった。社会学や心理学を通じた、取引慣行および社会心理の正確な把握によって、むしろ「感情法学」を打破することを企図する。その意味で自由法論への一般的な批判は誤りであるものの、そのような批判が生じる要因も自由法論に包含されており、また、同時代には裁判官自身の感情を重視する思想潮流も並存していたことを明らかにした。以上の内容を学会にて報告した。 第二に、リーガル・リアリズムの見解を、裁判や法的思考の捉え方、隣接学問分野との関連、自由法論からの影響といった点から検討した。非常に多様な論者の中でも、特にルウェリンの見解について、検討と議論を重ね、ドイツ法学および自由法論からの影響が顕著にみられることを確認した。彼は一般にルール懐疑主義とされているが、法に基づく裁判を諦めているのではなく、ルールの意義は認めたうえで、法律家がルールを用いる方法に焦点を合わせることで、法に基づく予測可能な裁判を構想するものであるという貴重な知見を得た。
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