本研究は、大正期における多様な政党政治構想のあり方とその影響を検討するものである。その成果は以下のように整理できる(最終年度は主に③に取り組んだ)。 ①大正期には、ほぼ対等な権限を持つ貴族院・衆議院間の関係をいかに処遇するか(両院関係問題)を論点として、多様な政党政治構想が存在していた。特に重要なのは、A貴衆両院共通政党に基づく強力政治と両院関係問題の解決を目指す路線、B衆院の実質的優位化により両院関係問題を解決し同院中心の政党政治を目指す路線の対抗関係である。また、C政党を中心に有力勢力を網羅的に政権基盤に組み込むことで挙国一致的体制を目指す路線も政党の位置づけを要素とする構想として大きな影響を与えた。 ②AとCは共に政権交代を政策交代に直結させない「国策固定」を志向する点で共通していた。Cを担った官僚閥の勢力が後退後、立憲政友会の原敬らは、「国策固定」の基盤を両院共通政党に見出していく。しかし、そのためになされた貴族院有爵者との提携は、特権階級批判を呼び、しかも有爵者の政権志向を活性化することで両院共通政党ではなく貴族院内閣の土壌ともなった。こうした動きへの批判、さらに地歩を減退させたCに近い勢力をも吸収することでBは有力化していく。 ③A他構想との対抗のなかでBが有力化したことは、政党内閣期の性質に大きな影響を与えた。A、Cの否定は国民レベルでの政策選択という可能性を担保したが、他方で広範囲の「政党化」による強権化という構想を相対化させる。それは、政党政治の正当性が国民的支持に強く依存することを意味した。一方、現実レベルにおける「政党化」の進展は、Bの論理と矛盾し、これにより呼び込まれた「党弊」批判は、政党政治の基盤を揺らがせる要因となっていく。さらに、政党政治また議会政治の意味がAに限定されたことは、政党への批判が議会批判に急進化しやすい土壌をも用意したのである。
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