昨年度の実績については、具体的に発表することは叶わなかったが、資料の調査や分析は継続しておこなってきた。また、静岡県をはじめとする茶業関係者とはメールや電話でのやり取りなどを通じて、資料についての情報などを連絡しあってきた。こうしたなかから、新たな茶業関係の資料の情報を得たりすることもできた。そういう意味では、昨年度は、自身の茶業史研究にとってはある程度進展が見られた年度であったといえる。 新たな資料とは、明治期から戦後にかけての日本茶輸出に大きく関わった、茶の再製加工と輸出をおこなう会社である静岡県の富士合資会社(のちに富士製茶会社に改称)が作成した営業報告書である。この資料は、富士製茶会社の関係者からその存在を確認することができた。この資料の具体的な分析を年度中におこなうことはできなかったが、まだ茶業史研究で利用されたことがない大変貴重なものである。今後の茶業史研究の進展にも大きな影響をもたらすものといえる。 また、それに関連して、『静岡県統計書』や『静岡県茶業史』などに掲載されている統計データから、大正期から昭和戦前期にかけてこの富士製茶会社がおこなった清水港からの日本茶輸出の状況について分析してみた。その結果、清水港からの茶輸出量の多くは外国商社の手になるものであったのだが、富士製茶会社はほぼ一定の輸出量を維持していること、ほかの日本の輸出会社よりも多くの茶を取り扱っていること、長期にわたり清水港からの茶輸出を継続しておこなっていることがわかった。外国商社との競争もあっただろうが、そうしたなかで静岡県の茶の輸出会社が継続して日本茶輸出に関わっていたことは、戦前期の茶産地の人々が日本茶輸出をどのように考えていたのかを明らかにしていくうえで、ひとつの示唆を与えてくれるものと思われる。
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