本研究は、障害種別にとらわれずにその政策史を総合的に検討することを目的としたものであった。とはいえ、とっかかりが必要でもあったので、知的障害者福祉史の検討を最初に行った。その結果明らかになったのは、知的障害者福祉法に先立つ身体障害者福祉法における知的障害児者の除外、精神衛生法における形式的な包摂によって、知的障害者福祉法はかなり急いで制定された中で、従来、検査の信頼性が低いためとされていた定義の欠如について、むしろ予想された対象者と提供し得ると考えていたニーズの間に大きな乖離があったことに注目し、これによってあえて知的障害児者の定義を設けない形で、法律が制定されたのではないかとする仮説を提起した。なお、知的障害者福祉法においても包摂されなかった人たちはおり、それらの人々は、重症心身障害児としてカテゴライズされ、最終的には児童福祉法で包摂される。さらにいえば、重症心身障害児の中でも行動ができる人たちは動ける重症児としてその中でも対応困難と考えられた。このように、本研究が示唆するところは、戦後の出発点となった身体障害者福祉法を起点としながら、排除されてきた対象者、包摂されたが、それが形式的だった対象者に注目することで障害者福祉史をダイナミックに記述できるのではないかという点にある。もちろん、包摂が不十分な対象者には新しい施策がやがて準備されるが、また新しい不十分な包摂が見いだされる。このことは、一般に「縦割り行政の弊害」と呼ばれることと関連している。というのも、除外される理由が省庁における部局ごとの役割の明確化と関係している場合も多いからである。 さらに、本研究では、身体障害者福祉の歴史の一環として、1970年代のアクセス権運動についても検討した。これらは、身体障害者福祉法による包摂が極めて不十分だった人たちが声を上げたものと整理することができる。
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