本研究は、前タイ国王プーミポン・アドゥンヤデート(在位1946-2016年)が誇った絶大な権威の素地が、王妃や彼女に仕える女官たちによって形成されたことを実証するものであった。具体的には、①メディア戦略における王妃の役割、②王妃や女官の姻戚・交友関係による王室と政財界との紐帯について分析するものである。 ①のイメージ戦略に関しては、特に1950年~1962年までの間に主に制作されたニュース映画「陛下の映画」のフィルムの一部と、その上映時の広告チラシや新聞広告、加えて、全国に巡行上映した際の収入などの資料を発見したため、その分析を中心的に行った。王妃に特に焦点があたるのは、1960年代に実施された外国訪問の様子においてである。スーツと軍服が主なファッションである国王に対し、王妃の様々な衣装の美しさが特に報道されている。また、皇太子をはじめとする子どもたちの出産を扱う映画においては、子どもを自らの手で育てる王妃の姿が盛んに報道され、「母」としての面が強調された。これが、その後「国母」語りが普及するための素地となった。 「国母」の語りが強くなってくるのは、1970年代後半からである。そしてこれを定着されるため、1976年には4月15日だった母の日を、王妃シリキットの誕生日である8月12日に変更した。 ②の女官の姻戚・交友関係については、1950年代や60年代の女官や側近には、王族や、代々宮中に仕える人々が多かった。この段階で、王妃の宮中人事への影響力はあまり大きくなかったと考えられる。しかし、1970年代半ばころからは大学を卒業した学生などをはじめ、王妃や国王自らがリクルートした若い職員が参内してきた。彼女らは、それ以前の職員に比べて一度退職して結婚・出産を経た後、再任官されることも多く、より重要な役割を担っていたと考えられる。
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