本研究は、プロの演奏家の養成を目的とした専門的なピアノ・レッスンにおいて、どのような音楽的なやりとりが行われ、弟子の音楽理解へとつながっているのかを、社会調査の手法を用いて明らかにしようとしたものである。調査の対象は、演奏解釈の教授にあたって独特な指導言語を用いていたピアニストで指導者のゴールドベルク山根美代子(1939-2006)のレッスンである。 これまでに対象のレッスンや、レッスンを受けた弟子たちへのインタビューを分析し、どのような内容がレッスンで取り扱われ、その内容を伝えるためにどのような言葉や動作が用いられたのか、そして弟子たちがどのようなプロセスを経てそれらを理解していったのかを追求してきた。 今年度は、クラシック音楽における演奏解釈と楽譜の関係を整理しつつ、演奏家にとっての「楽譜を読む」とう行為が時に楽譜から逸脱することや、楽譜に記されていないことまでも補う行為であることを確認した。また、伝統芸道など他の身体技能の研究で行われている認知科学的なアプローチを参考にしながら、学習者が頭と身体の両方を働かせながら指導者の教える内容を理解し、実現しようとする過程を明らかにすることができた。指導者は、本来言葉にすることのできない音楽的な内容を、独特な指導言語と自らの範奏によって学習者へ伝えようとする。学習者は、耳で聴いた指導者の演奏と指導言語の意味とを頭の中で一致させながら、今度はそれを自分の演奏で体現する。指導者は学習者の演奏を聴き、自らが伝えようとしたこととの違いをまた伝える。その繰り返しによって、学習者は指導者が伝える音楽的内容を、耳と手と頭を働かせながら次第に正確につかんでいくのである。この成果は『音楽教育メディア研究』第8巻(日本音楽教育メディア学会、2022年3月)に発表した。
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