研究課題/領域番号 |
18H05561
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配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
早瀬 篤 京都大学, 文学研究科, 准教授 (70826768)
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研究期間 (年度) |
2018-08-24 – 2020-03-31
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キーワード | プラトン / アリストテレス / イデア論 / 形而上学 / 真実在説 / 発展主義解釈 / 新統一主義解釈 |
研究実績の概要 |
昨年度の主要な研究成果は、国内でいまなおプラトン研究の共通前提と見做される「発展主義解釈」に内在する諸問題を整理・解明し、本研究の立ち位置をプラトン哲学の全体像に関する諸研究との関連において明確にしたことである。これによって本研究が解明を目指すプラトンのeidos/ideaという概念の問題を著作時期の問題と結びつけることが可能になり、課題をより正確に定式化できるようになったと考えている。この成果に関して12月に研究発表を行い、また執筆した論文は査読雑誌に掲載が決まっている。 この発表・論文の概要は以下の通りである。二〇世紀のプラトン研究では、アリストテレスの報告に依拠して、プラトンの全著作を、ソクラテスの哲学に近い「初期著作」とイデア論などのプラトン独自の思想を表明する「中・後期著作」に区別する「発展主義解釈」が支配的だった。それに対して、世界では二〇世紀末頃からこの発展主義解釈がはらむ諸問題を指摘し、統一的プラトン像を模索する動きが起きている(代表例が「新統一主義解釈」である)。私は、発展主義解釈に対して提起された諸批判を整理するとともに、プラトン形而上学説に関する解釈の問題がその批判の中心にあるべきことを指摘した。発展主義解釈は、文体統計学的研究では初期著作に分類される『饗宴』と『パイドン』を、プラトン独自の「イデア論」を表明する著作と見做して、中期著作に分類することで成立する。私は、発展主義解釈の想定する「イデア論」に明らかなテクスト上の問題を指摘し、著作時期を修正するほどの根拠にはならないと論じた。 この他に、アリストテレスが『形而上学』においてどのようにプラトン哲学を報告しているのか再検討を行った。この課題に関しては、アリストテレスのギリシア語テクストを慎重に読解した他、またEmily KatzやMichail Peramatzisらの最近の研究を検討した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、プラトンの形而上学説の核心にあるのは、アリストテレス以降の伝統で「イデア」と訳すべきeidos/ideaではなく、むしろ「真実在」(ト・オントース・オン)である、という仮説を論証することを目指すものである。この目的に向けて、昨年度は、応募時の予定とは異なる仕方で課題を遂行したが、おおむね順調に進んでいると言える。 応募時には、アリストテレスの報告にもとづくプラトンの形而上学説と、プラトンのテクスト内部の形而上学説の違いを正確に把握するために、課題採択後(10月以降)半年間にわたり、アリストテレス『形而上学』のなかでプラトン哲学がどのように報告されているのかを慎重に検討するという予定を立てた。実際にこの研究にも取り組んだが、昨年度は最低限必要な範囲に絞ってテクストを吟味し、また『形而上学』Μ・Ν巻についての最近の研究を慎重に検討するにとどめ、むしろ研究実績の概要に述べた、本研究の主要課題をプラトン哲学の全体像に関する諸研究との関連において明確に位置づけるための研究を遂行した。 このように変更した理由は、①国内の他の研究者と交流するなかで、早めの段階で本研究の意義を分かりやすく説明する必要があると考えるようになったこと、そして②プラトン哲学研究の最近の動向を一般の聴衆に紹介するという発表の機会を与えられたことが理由である。この研究の過程で、本研究の課題であるeidos/ideaという概念を、プラトンの著作時期との関連で正確に定式化できるようになった。このことは本研究を進める上で非常に重要であり、当初の予定とは異なるが、本研究がおおむね順調に進んでいると言う根拠になると考える。
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今後の研究の推進方策 |
応募時の予定通り、今年度は、これまで学者たちがしばしば「イデア」と訳し、諸事物の超越的なモデルとして理解してきたeidos/ideaという概念を、その言葉が使われる『パイドン』および『国家』に関して丁寧に調査していきたい。最終的には、これらの著作でeidos/ideaあるいはそれと互換的な「…そのもの」という概念は、①他のものとの関連において考察することも、②それ自体で把握することもできるという、二重性をもつと論証したい。それとともにプラトンはむしろ「真実在」(ト・オントース・オン)を諸事物の超越的なモデルとして考えていたことも論証したい。この仮説が正しいならば、これまでプラトンの「イデア論」と呼ばれてきたものは、むしろ「真実在説」と呼ぶことが正しいことになる。 プラトンは『国家』において比喩の形で形而上学説を提示しているため、それを論理的に説明することには限界があると考えられる。また膨大な関連二次文献が存在するため、全面的な調査は無意味に終わる公算が高い。そこで次の三つの問題に対する回答を見定めることを主要課題とし、調査範囲を制限することによって対処したい。①「eidos/ideaはすべて感覚対象と区別される知性対象なのか?」②「ある同一のeidos/ideaがそれ自体でのみならず、何かのうちにもありうるのか?」③「ある同一のeidos/ideaが原範型だけでなく、普遍でもあるのか?」 8月末から9月半ばにかけては、英国に赴いてこの研究の見通しを、この問題に知見のあるOxford大学のL. Castagnoli准教授やプラトン哲学の権威であるDurham大学のCh. Rowe教授と議論したい。 最後に、プラトンが「真実在」と呼ぶものの特性を再調査し、本研究の『パイドン』と『国家』との研究の結果と比較することによって、プラトン形而上学全体の見通しを明らかにすることを目指す。
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