これまで、17-18世紀フランスの演劇における身体言語興隆の背景として、同時代の修辞学復興ないし言語起源論が指摘されてきた。本研究は、当時演劇における身体言語の理論化をリードしたメネトリエとディドロが、それぞれ独自の像理論の一部として演劇における身体を論じたという共通点に着目し、それら像理論を連続的に検討することで、これまでとは異なる身体言語論の文脈に光を当てることを目的とした。 両者の像理論分析の結果、以下のことが明らかになった。1)メネトリエの像理論の根底には、原像と模像の類似というよりは差異を追求し、原像を隠すことによって像が生まれるとする17世紀神学の「表徴(figure)」概念の伝統がある。この隠匿する像の成立要因の一つは、像(表すもの)が何(表されるもの)を隠しているのか見抜く観者の快である。2)ディドロの像理論の根底には、複製性を免れないという言語記号の本性的な限界への挑戦がある。ディドロは、像による言語である「ヒエログリフ」を範型とし、像言語は指示対象の像を言語の受け手に直接感覚させることが可能であり、これにより言語の複製性という限界を乗り越えうると考えた。 この時代のパラダイムである模倣理論において、像とはその表象の明晰性を高め、像の受け手に表象内容を十分に伝達しなければならない。一方で、メネトリエとディドロの像理論に共通しているのは、原像と模像の差異を見抜く、あるいは像の表象対象そのものを感覚するといった観者の能動性に焦点を合わせた点である。両者の像理論において観者は、表象内容を単に受容するというより、より能動的に像の生成にかかわる。以上の検討から、両者の演劇における身体言語論は、芸術作品の制作者と鑑賞者のより相互的なコミュニケーションの追求を背景にすると考えられる。
|