研究課題/領域番号 |
18H05565
|
配分区分 | 補助金 |
研究機関 | 奈良女子大学 |
研究代表者 |
佐藤 有希子 奈良女子大学, 人文科学系, 准教授 (40746236)
|
研究期間 (年度) |
2018-08-24 – 2020-03-31
|
キーワード | 真宗 / 長干寺 / 阿育王塔 / 舎利信仰 / 毘沙門天像 / 釈迦瑞像 / 正統意識 |
研究実績の概要 |
本研究「北宋時代の仏教文物とその歴史的意義 -真宗時代(997~1022)を中心に-」では、北宋第三代皇帝の真宗時代(997~1022)、なかでも宋朝が契丹と結んだ講和条約・セン淵の盟が締結された直後、天が皇帝を寿いだとされる天書の降臨や、帝王が行う報天祭儀である封禅など、国威発揚のための祭祀がさかんにとりおこなわれた大中祥符~天禧年間(1008~1021)の仏教文物に注目し、その歴史的意義を明らかにする。 本年度は、南京・長干寺址出土阿育王塔(大中祥符四年・1011、以下長干寺塔)について、国際学会での発表および論文執筆を行った。南京市・長干寺は六朝時代以来の舎利信仰における象徴的存在であったことがよく知られる 。近年長干寺址から、北宋時代の阿育王塔を中心とした、舎利信仰に深く関係する遺物が多数出土した 。なかでも阿育王塔は、規模の大きさと完成度の高さが注目される。本研究では、結論として以下を明らかにした。 長干寺塔隅飾にあらわされた異国風の図像、すなわち栴檀釈迦瑞像、阿育王像、毘沙門天像および相輪部の四天王像は、北宋朝における新仏教政策の汎アジア的性格を明確に引き継ぐものである。 長干寺塔に記された銘文の分析により、長干寺塔には真宗朝に関わりのある人物が関わっていることが判明した。図像上の特質などを勘案すると、長干寺塔の制作において、真宗その人自身というよりは、その側近であった王欽若とその周辺人物の意図が反映されていた可能性は否定できない。長干寺塔の制作にあたっては、封禅や汾陰祀と同様、皇帝権力を誇示しようとする意識がみとめられる。そしてそこには、自らの王統の正当性を顕示しようとする真宗の「正統」意識が発露している可能性が考えられる。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
真宗朝時代に制作された仏教文物のうち、最も規模が大きく、質の高い作品の一つである長干寺址出土阿育王塔について考察をまとめることができたため。31年度は、もう一つの代表作例である蘇州市・瑞光寺塔出土品について調査・考察を行う予定である。
|
今後の研究の推進方策 |
31年度は、蘇州市・瑞光寺塔出土真珠舎利宝幢(大中祥符六年・1013)を中心に考察を行う。この文物は、五代以来の賢臣とされ、知蘇州であった張去華(938~1006)の病平癒のために発願され、その死後に奉安されたものであることが迸出した『大随求陀羅尼経』に記されている。とはいえ、出土文物の高い造形水準や、建塔にかかる経済的な規模が莫大なものであること、死後しばらく経っているという時期的な問題、当時は金の装飾の私用が厳しく禁止されていた時期にもかかわらず、ここには潤沢に金が使用されている矛盾、天書・封禅の費用捻出を担当した宰相丁謂(966~1037)の実家は蘇州の名家だったことなどの点は不審でもある。真宗に経国の道を説いた「元元論」を献上し、重用されたという張去華の追善を兼ねた国家的事業の一つであった可能性を検討する。 また、入宋僧寂照(962頃~1034)と宋代仏教文物との関係性についても考察を行う。寂照は貴顕の出身であったことも関係し、外来文化の受容に積極的だった道長から請われて、宋の新訳経典などを日本に送っている。寂照は日本には帰らず、江南仏教に身を投じて現地の仏教界で活躍した僧侶である。前出の宰相丁謂など、中央人物とのコネクションも篤かったという。彼が当時の仏教界で果たした役割を知ることは、真宗時代の仏教および、日宋における仏教文化交流を知る手がかりになることは疑いない。寂照が帰朝しなかったことも関係するのだろうが、この時期に日本にもたらされた北宋文物の実態は明らかでない。従来は看過されてきた、中国各地に現存する真宗時代の仏教文物を踏査することで、日宋交流史においてきわめて重要な時期でありながらも、国内の現存作例が少なく、現在の美術史では比較的空白地帯となっている1000年前後の状況がより明らかになると予想される。
|