証因の三条件説をディグナーガが自らの体系に取り入れることにより、討論術的伝統から認識論的な伝統へと仏教論理学は展開していったと従来理解されていた。これに対して本研究の成果が明らかにしたのは、彼の最終的見解が示されている『集量論』でもディグナーガは、かなりの程度討論術的伝統を維持しているということである。そしてその原因として、彼がナーガールジュナをはじめとする大乗の空思想とのつながりを強く意識していたことが想像される。 玄奘および彼の弟子たちの間で『集量論』の内容の一部が伝承されていたことが近年指摘されつつあったが、本研究ではさらにそれが広範囲なものであることを指摘している。
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