今年度は新型コロナウイルスの影響で、長い間県をまたぐ移動の自粛が要求されていたため、本来予定だった台湾への現地調査だけでなく、関西圏などの日本国内における資料調査すらもできなかった。そのため、今年度は主として早稲田大学演劇博物館と東京都内の図書館に所蔵されている資料を調査し、デジタル化された文献の収集を行い、日本国内の人形浄瑠璃史の専門家と議論をした。先生方の助言に従い、新たに入手した資料に基づき文献の精査を行い、過去発表された論文の内容を再検証あるいは修正した。とくに関西出身の女義太夫の台湾進出の動機及びその影響について改めて論点を整理した。渡台芸人の多くが関西や九州出身であったことは先行研究でも指摘されているが、このことは台湾の女義界を大きく特徴づけているといえる。もともと東京で名を成した女義も多くは大阪、名古屋出身であり、さらに、大阪播重席が女義の修業場、登竜門としてよく知られていた。もちろん、台湾に進出した女義太夫の中には、当時競争の激しかった女義界で、一流でない太夫が出世の機会をうかがって台湾進出を決意した場合もあっただろうと推測できるが、実は義太夫節の本場で芸力を培い、東京の容姿を売り物とした「娘義太夫」とは一線を画した実力者も多かったのではないかと考えられる。台湾では女義太夫の周りに素人義太夫のグループが出来てゆく傾向も見られ、その組織力などから考えても、台湾の女義に相当レベルの実力をもつ者が存在したという現象が確認できた。 本研究の研究成果の一部は2021年京都大学大学院人間・環境学研究科博士学位請求論文として提出した。また、同じく日本統治期台湾における伝統芸能の発展に関する論考については、日本と関係の深い梅蘭芳をテーマとした論文を発表した。日本統治期台湾における義太夫節に関する論考については、2021年度内に台湾の査読付きの雑誌に投稿する予定である。
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